
「子どものために。」
学校現場ではよく聞く言葉である。
もちろん、その思いは大切である。私自身も、子どもたちの成長や幸せを願いながら日々を過ごしている。しかし最近、少し気になることがある。
それは、「子どものために」が、いつの間にか「先生自身を犠牲にすること」と結び付いてしまう場面があることである。
子どものためだから我慢する。子どものためだから休まない。子どものためだから無理をする。
そんな姿を美徳としてきた文化が、学校には少なからず存在してきたように思う。
しかし、本当にそれでよいのだろうか。
樺沢紫苑さんは、幸福の土台はセロトニン的幸福だと言う。健康であること。安心できること。心と体が安定していること。
これは子どもだけでなく、大人にも当てはまる。
睡眠不足で余裕がないとき、私たちは優しくなれない。心配事を抱えているとき、相手の話をゆっくり聞くことが難しくなる。疲れ切っているとき、笑顔は減っていく。
つまり、人を幸せにするためには、まず自分自身が健康でなければならないのである。
飛行機では、緊急時に酸素マスクを付ける際、「まず自分から」と説明されるという。自分が倒れてしまったら、隣の人を助けることができないからである。
学校も同じではないだろうか。
先生が疲れ切っている。先生が孤立している。先生が誰にも相談できない。
そんな状態では、子どもたちに安心感を届け続けることは難しい。
私は、幸せは伝染するものだと思っている。
笑顔が伝染するように、安心感も伝染する。応援が伝染するように、温かい言葉も伝染する。反対に、不安やイライラもまた伝染していく。
だから学校の空気をつくる上で、子どもだけでなく、大人の幸せも大切なのである。
私はここで、有田和正先生の言葉を思い出す。
有田先生は、
「授業中、一度も笑いを起こさなかった教師は逮捕されるべきだ」
と語っていた。
もちろん本当に逮捕しろという意味ではない。
それほどまでに、教室の笑顔や笑いを大切にしていたのである。
また、有田先生は、
「楽しいから笑うんじゃない。笑うから楽しいんだ。」
とも語っている。
私たちは、楽しいことがあるから笑うと思いがちである。しかし実際には、笑顔になることで心がほぐれ、安心感が生まれ、人との距離が縮まることがある。
考えてみれば、笑いが生まれる教室には共通点がある。
間違えても大丈夫。
分からないと言っても大丈夫。
失敗してもやり直せる。
先生も子どもも自然体でいられる。
そこには安心があり、つながりがある。
私は、有田先生が大切にしていた笑いとは、単なる面白さではなく、「この教室にいていい」と思える空気そのものだったのではないかと思う。
そして、それは子どもだけの話ではない。
職員室も同じである。
先生同士が笑顔で話せる。
困ったときに相談できる。
失敗しても責められない。
そんな空気がある学校では、先生たちも安心して働くことができる。
私たちは子どもたちに、「困ったら相談していいんだよ」と伝えている。
私たちは子どもたちに、「一人で抱え込まなくていいんだよ」と伝えている。
ならば、大人も同じであってよいはずである。
学校には様々な立場の人がいる。
先生。
職員。
保護者。
地域の方々。
それぞれが学校を支えている。
そして誰か一人の頑張りだけで学校は成り立たない。
困ったときには助けてもらえる。分からないことは相談できる。失敗しても責められない。
そんな安心感のある関係があるから、人は力を発揮できるのである。
私は、「子どもが通いたくなる学校」を目指したいと思っている。
同時に、「親が通わせたくなる学校」「地域から愛される学校」「職員が働きたくなる学校」も目指したい。
その四つは別々のものではない。
先生が笑顔で働ける学校には、子どもの笑顔が増える。
子どもの笑顔が増える学校には、保護者の安心が生まれる。
保護者の安心が生まれる学校には、地域の応援が集まる。
そうして幸せは広がっていくのである。
「毎日がスペシャル」
私はこの言葉が好きである。
特別な行事の日だけではない。
何気ない毎日の中で、子どもも大人も安心して過ごせること。互いに支え合えること。笑顔で「おはよう」と言い合えること。
そんな当たり前の積み重ねこそが、幸せな学校をつくっていくのだと思う。
先生も幸せになっていい。
それは決して自分勝手なことではない。
子どもたちの幸せにつながる、大切な土台なのである。

コメント