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なぜサッカートレセンのスタッフは、ここまで低い対価でも成り立ってしまっているのか

「トレセンのスタッフって、あれだけの時間と責任を負っているのに、なぜこんなに対価が低いのだろう」現場に関わったことのある指導者なら、一度は感じたことがある疑問ではないだろうか。それでも制度は、長年“問題なく”回ってきたように見える。だが本当...
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登呂遺跡⑦小さな道徳「田んぼや竪穴住居の入口の向き」

「登呂遺跡では、田んぼも、竪穴住居の入口も、南東を向いていました。」問い(答えは言わない) • なぜ、同じ向きなのだろう? • もし北向きだったら、何が起こる? • 今の家は、何を基準に向きが決まっている?余韻 • 私たちは、便利さ以外に「...
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登呂遺跡⑤小さな道徳❸「一人では、生きられない」

稲作は、一人ではできない。水路づくりも、収穫も、保存も、必ず人と人との協力が必要だった。登呂遺跡が教えてくれるのは、助け合いはきれいごとではなく、生存の条件だったという事実だ。▶ 発問(30秒) • 今日一日で、誰かの助けを借りた場面はあっ...
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登呂遺跡④小さな道徳❷「自然は、征服するものではない」

登呂のくらしには、自然に逆らう姿がほとんど見られない。水の流れを読み、季節を待ち、とれる分だけをいただく。自然は敵でも、道具でもなく、共に生きる相手だった。▶ 発問(30秒) • もし自然が怒ったら、今の私たちの生活はどうなるだろう?
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登呂遺跡③-小さな道徳❶「あるものを、活かしきる」

登呂の人たちは、ないものを嘆くより、あるものをどう使うかを考えていました。魚を食べ、骨を道具にする。貝を食べ、殻を針や飾りにする。今の私たちはどうだろう。壊れたら捨てる。古くなったら買い替える。便利になった分、活かしきる力は弱くなっていない...
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登呂遺跡②「小さな道徳」 ―生きるために、何を大切にしてきたのか―

登呂遺跡の展示を見て、「昔の人は大変だった」という言葉が、ふと違って聞こえた。そこにあったのは、不便さではなく、生きるための確かな知恵だったからだ。焼いた魚、集めた貝、育てた米。そして、食べた後に残る骨や殻までも、道具として使い切る暮らし。...
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登呂遺跡①

登呂遺跡は、過去を知る場所ではなく、自分の生き方を静かに見直す場所だった。だからこそ、この展示は、社会科だけで終わらせてはいけない。朝の5分。教室の空気を整えるための、小さな、しかし確かな道徳教材として、登呂遺跡は、今も生き続けている。
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禍福は糾える縄の如し

「禍福は糾える縄の如し」という言葉がある。不幸と幸福は、一本の縄のように撚り合わさり、簡単にはほどけないという意味だ。ある時、自分は、これまで立っていた場所から一歩離れたところに立つことになった。理由を語れば説明はできる。けれど、正解か不正...
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なぜ、私はこの立場に立つのか〜「幸せの三段重」を土台とした、私の立ち位置〜

1. はじめに:学校は何のためにあるのか• 学校は「幸せ」になるためにある• 私は、「この子たちこそが、私たちが手塩にかけて育てた自慢の生徒です」と胸を張って言い切れる教育者でありたい。その一心で、今の立場に立っています。• 私が立脚してい...
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「いくらならやるのか」を、実際に聞いてみた

部活動を地域で担うという議論の中で、一度、極めてシンプルな問いを投げかけてみた。「いくらなら、やりますか?」感想ではなく、金額で聞いてみると、見えてくるものがある。ライセンスによって報酬を分けるという発想例えば、サッカーであれば、指導者には...