「タブレットはダメ。」
学校現場で、そんな言葉を耳にすることがあります。
では、こんな言葉はどうでしょう。
「包丁はダメ。」
きっと、多くの人が違和感を覚えるはずです。
包丁は使い方を誤れば人を傷つけます。しかし、料理をつくり、人を幸せにすることもできる道具です。
だから私たちは、「包丁を使うな」とは教えません。
「正しく使いなさい。」
「危険を理解しなさい。」
「相手や周りを考えなさい。」
そう教えます。
タブレットも同じではないでしょうか。
ゲームばかりしているからダメ。
SNSでトラブルになるからダメ。
集中できないからダメ。
確かに、そうした場面はあります。
しかし、本当に問題なのはタブレットなのでしょうか。
もしそうなら、包丁も、車も、自転車も、インターネットも、すべて「ダメ」になってしまいます。
道具には善悪はありません。
あるのは、「どう使うか」です。
学校の役割は、便利な道具を遠ざけることではありません。
これからの社会で必要になる道具だからこそ、安全に、適切に、そして価値ある使い方ができる力を育てることではないでしょうか。
「タブレットがダメ。」
そう言いたくなったとき、一度立ち止まって考えてみたいのです。
その言葉は、道具に向けられているのでしょうか。
それとも、本当は使い方や環境、ルールづくり、そして私たち大人の指導に向けられるべき言葉なのでしょうか。
子どもたちが生きる未来からタブレットはなくなりません。
だからこそ、私たち大人に求められるのは、「使わせない力」ではなく、「使いこなせる人を育てる力」なのだと思います。

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