「保護者対応」という言葉がある。学校現場では当たり前のように使われている言葉である。しかし私は、この言葉に少し違和感を覚えることがある。
もちろん、保護者から相談を受けることもある。厳しいご意見をいただくこともある。学校の考え方と家庭の考え方がすれ違うこともある。しかし、その一つ一つの背景には何があるのだろうか。
私は、多くの場合、「この子に幸せになってほしい」という願いがあるのだと思っている。
保護者は我が子のことを誰よりも心配している。友達とうまくやれているだろうか。勉強についていけているだろうか。学校で嫌な思いをしていないだろうか。将来、自立して生きていけるだろうか。その不安と期待の中で、毎日子育てをしている。
考えてみれば、教師も同じである。子どもが笑顔でいてほしい。友達と仲良くしてほしい。自分の良さを見つけてほしい。幸せになってほしい。願いの方向は、本当は同じなのである。
ただ、見ている景色が違う。
学校での姿を見ている教師。家庭での姿を見ている保護者。見える部分が違うからこそ、時には誤解やすれ違いが生まれる。学校では元気いっぱいに過ごしている子が、家では疲れ切っていることもある。家庭では見られない成長を、学校では見ることができることもある。
だからこそ、学校と家庭はお互いの情報を持ち寄る必要がある。どちらが正しいかを競うのではなく、どうすればこの子を支えられるかを考えるのである。
私は、学校と家庭はチームだと思っている。
サッカーでも、一人では試合に勝てない。ゴールキーパーには見える景色がある。ディフェンダーには見える景色がある。フォワードには見える景色がある。それぞれの立場から見えるものを共有することで、チームは強くなる。
学校と家庭も同じである。教師にしか見えない姿がある。保護者にしか見えない姿がある。だからこそ、お互いの話を聞くことが大切なのである。
樺沢紫苑さんの幸福論で言えば、ここでも大切になるのはオキシトシン的幸福である。信頼、共感、つながり、安心感。学校と家庭の間に信頼関係が生まれると、子どもは安心する。
先生も応援してくれている。おうちの人も応援してくれている。
そう感じられるからである。
反対に、大人同士が対立していると、最も不安になるのは子どもである。だから私は、保護者との関係づくりも教育の一部だと思っている。
ある保護者から、
「先生が子どもの良いところを教えてくれて嬉しかったです。」
と言われたことがある。私は、その言葉が今でも忘れられない。
学校からの連絡というと、どうしても課題や問題の話になりがちである。もちろん、それも必要なことである。しかし、それ以上に大切なのは、その子の成長や頑張りを共有することではないだろうか。
今日はこんな発言をしました。友達に優しい声を掛けていました。最後まで諦めずに取り組みました。
そんな一言が、保護者の安心につながる。そして安心は信頼を生む。信頼は協力を生む。協力は子どもの成長を支える。
私はここで、学校と家庭の関係を考えるとき、よく思い出す言葉がある。
「子どもは、愛されたように人を愛する。」
子どもは、大人の姿を見ながら育つ。教師と保護者が互いを信頼し、尊重し合う姿を見れば、子どももまた人を信頼することを学ぶ。反対に、大人同士が不信感や対立を抱えたままでいると、その空気は子どもにも伝わってしまう。
だからこそ、学校と家庭の関係は単なる連絡や協力ではなく、子どもにとっての学びそのものなのである。
私は、「子どもが通いたくなる学校」を目指したい。同時に、「親が通わせたくなる学校」も目指したいと思っている。
それは施設が立派な学校という意味ではない。先生と話ができる学校。相談できる学校。一緒に子どもの成長を喜べる学校。そんな学校である。
学校は子どもだけの場所ではない。保護者にとっても安心できる場所でありたい。そして学校と家庭が同じ方向を向いたとき、子どもはより大きな安心感の中で成長していく。
私は、学校からの電話や連絡帳には二種類あると思っている。一つは問題を伝える連絡。もう一つは成長を伝える連絡である。
問題を伝えることも大切である。しかし、成長を伝えることはもっと大切かもしれない。
子どもの良さを伝える。
頑張りを伝える。
挑戦を伝える。
その積み重ねが保護者の安心を生み、学校への信頼を育てていく。
そして信頼は、子どもにとっての安心につながる。
幸せの循環である。
「毎日がスペシャル」
私はこの言葉が好きである。
子どもたちの幸せを願う大人が、学校にも家庭にもいる。それだけで本当は、とても幸せなことなのかもしれない。
学校と家庭はチームである。
勝ち負けを競う相手ではない。責任を押し付け合う相手でもない。同じゴールを目指す仲間である。
そのゴールとは、子どもが幸せになることである。
学校と家庭が手を取り合い、同じ方向を向いて歩いていく。そのチームの真ん中には、いつも子どもの笑顔があってほしいと思うのである。

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