
このシリーズの第1回で、私は「学校は幸せになるところだ」という言葉を書いた。そして第2回から第9回までを通して、幸せとは何かについて考えてきた。
健康で安心できること。人とのつながりを感じられること。挑戦し、成長を実感できること。樺沢紫苑さんの言葉を借りれば、セロトニン的幸福、オキシトシン的幸福、ドーパミン的幸福である。私たちはつい、成績や結果、将来の成功ばかりに目を向けてしまう。しかし本当の幸せは、その前提となる安心や信頼関係の上に成り立っていることを、このシリーズを書きながら改めて感じている。
学校は勉強をする場所である。それは間違いない。しかし私は、それだけではないと思っている。学校は人と関わることを学ぶ場所であり、自分を大切にすることを学ぶ場所であり、人を大切にすることを学ぶ場所である。そして何より、幸せに生きる力を身に付ける場所である。
友達と意見がぶつかることもある。失敗することもある。悔しい思いをすることもある。時には傷付くこともある。しかし、それらを乗り越えながら、人は人との関わり方を学び、自分自身の生き方を学んでいく。学校生活とは、幸せになるための練習の連続なのかもしれない。
私はこれまで、「子どものせいにしない」という言葉を大切にしてきた。問題が起きたとき、子どもに原因を求めるのではなく、環境や関係性を見直したいと思っている。それは、子どもたちが本来持っている「よりよく生きたい」「認められたい」「幸せになりたい」という願いを信じているからである。
また私は、「子どもが通いたくなる学校」「親が通わせたくなる学校」「地域に愛される学校」「職員が働きたくなる学校」を目指したいと思っている。この四つは別々の目標ではない。子どもが幸せな学校には、先生の笑顔がある。先生が幸せな学校には、保護者の安心がある。保護者の安心がある学校には、地域の応援が集まる。すべてはつながっているのである。
そして、その中心にはいつも人と人とのつながりがある。安心できる教室。認め合える仲間。応援してくれる大人。そうした環境の中で、人は自分らしく成長していく。学校とは、知識を教える場所である前に、人を育てる場所なのだと思う。
「毎日がスペシャル」。
私はこの言葉が好きである。特別な行事の日だけが大切なのではない。友達と笑い合えた日も、苦手なことに挑戦できた日も、誰かに優しくできた日も、すべてがかけがえのない一日である。その積み重ねが人生をつくり、その積み重ねが幸せをつくっていく。
学校は幸せになるところだ。
それは卒業した後に手に入るものではない。将来成功したら得られるものでもない。今日という一日の中で感じる安心やつながり、挑戦や成長の中にあるものである。
だから私は、これからもこの言葉を大切にしていきたい。
学校は幸せになるところだ。
そして学校は、幸せを練習するところなのである。


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