ここまでの話をすると、こんな言葉をいただくことがあります。
「それは、学級が荒れた経験がないから言えるんですよ」
「理想論ですよ」
「低学年では無理です」
「1年生を育てたことがありますか?」
これも、とても大事な問いだと思っています。
実際、学級が荒れる苦しさは、本当に大きい。毎日神経を張り続ける。授業が成立しない。子ども同士がぶつかる。先生自身が追い詰められていく。
だから、「まず静かに」「まず管理を」と考えるのは、自然なことなんです。
ここはまず、否定してはいけないと思うんです。
でも、その上で、少しだけ一緒に考えてみてほしいんです。
その“荒れ”は、本当に「座席配置」だけの問題だったのでしょうか。
ここ、少し周りの先生とも話してみてください。
「子どもたちって、どんな時に荒れていくんだろう?」
と。
もちろん原因は一つではありません。家庭環境もある。発達特性もある。人間関係もある。社会の変化もある。
でも、その中で一つ、見落としてはいけないことがある気がするんです。
それは、
「安心してつながれる時間」
「認められる時間」
「自分で考えていい時間」
そういう時間が、毎日の学校生活の中にどれだけあったのか、ということです。
最近は脳科学でも、「安心」や「つながり」が人を動かすことが分かってきています。いわゆるオキシトシンという言葉も、少しずつ知られるようになってきました。
人は、“安心できる関係”の中で挑戦しやすくなる。
逆に言えば、
ずっと緊張し、
ずっと評価され、
ずっと「間違えないように」と過ごしていたら、
人は守りに入っていく。
これは大人でも同じではないでしょうか。
少し想像してみてください。
もし職員室で、
「間違えるな」
「静かにしろ」
「言われた通りに」
だけが続いたら、
先生たちは主体的に動けるでしょうか。
ここ、一度同僚にも聞いてみてください。
「それで、挑戦したくなるかな?」
と。
おそらく、多くの人が苦しくなると思うんです。
でも、子どもたちには、それに近い環境を毎日与えてしまっていないでしょうか。
そしてもう一つ、よく言われるのが、
「それは高学年だからできる」
「1・2年生では無理」
という言葉です。
これも、確かに一理あります。発達段階は絶対に考えないといけない。いきなり全部自由にすればいいわけではない。
でも、ここで一つ問いがあります。
“輪になって学び合いながら育った1年生”を、6年間見続けた経験はありますか。
逆に、
“最初から管理型で育った子”が、そのまま6年後どうなるかは、多くの先生が見てきています。
だから私たちは、そちらの未来は想像しやすい。
でも、
「安心して話していい」
「友達と考えていい」
「失敗していい」
「自分で決めていい」
そんな環境を、小学校1年生から積み重ねた先を、私たちは本当に見たことがあるのでしょうか。
ここ、とても大事だと思うんです。
やったことがない。
見たことがない。
でも、
「無理だ」
と思ってしまっている。
それは、本当に“経験”でしょうか。
それとも、“経験していないことへの不安”なのでしょうか。
少し厳しい問いかもしれません。
でも、教育って、本来そうやって更新されてきたはずなんです。
昔は、
「子どもは体罰で伸びる」
「水を飲むな」
「見て覚えろ」
そう信じられていた時代もありました。
でも、この100年で、科学も脳科学も発達心理学も、大きく進みました。
「安心」
「対話」
「つながり」
「自己決定感」
そういうものが、人の学びや成長に深く関わることも、少しずつ見えてきています。
もちろん、まだ答えは途中です。
でもだからこそ、
「昔からこうだった」
「自分はこう教わった」
だけで止まってしまったら、
子どもたちの未来も、そこで止まってしまうかもしれない。
そう感じるんです。
サッカーでも同じですよね。
もし昔の根性論だけで止まっていたら、今の世界とは戦えない。
科学も、環境も、指導法も、更新され続けている。
教育も、本当は同じなのかもしれません。
だから私は、
「管理か自由か」
という話ではなく、
“子どもが人として育っていく環境とは何か”
を、もう一度みんなで考えてみたいんです。
もしここまで読んで、少しでも引っかかるところがあったなら、ぜひ周りの人に聞いてみてください。
「私たちって、“見たことがある未来”だけを信じていないかな?」
と。
その問いから、新しい教育が始まる気がするんです。

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