皆さんは、どんな人を応援したくなるだろうか。
勉強ができる人だろうか。スポーツが得意な人だろうか。もちろん、それも素晴らしいことである。しかし私たちが本当に応援したくなるのは、少し違う人ではないだろうか。
素直な人。感謝できる人。一生懸命な人。仲間を大切にする人。失敗しても、もう一度立ち上がろうとする人。
そんな人を見ると、「頑張れ」と自然に声をかけたくなる。
私は、「学校は応援される人になるためにある」という言葉を大切にしている。なぜなら、人生は一人で生きていくものではないからである。
どれだけ能力が高くても、周りから信頼されなければ、その力を発揮し続けることは難しい。逆に、周りから応援される人には、多くのチャンスが集まってくる。困ったときに助けてもらえる。失敗しても支えてもらえる。挑戦するときに背中を押してもらえる。
人とのつながりが、その人の可能性を広げていくのである。
樺沢紫苑さんの幸福論で言えば、これはオキシトシン的幸福につながる。人とのつながり、信頼、感謝、応援。こうした関係性の中で、人は安心し、自分らしく生きることができる。
学校は勉強を学ぶ場所である。しかし同時に、人との関わり方を学ぶ場所でもある。
挨拶をする。ありがとうを伝える。困っている人に声をかける。話を最後まで聞く。相手の頑張りを認める。
こうしたことはテストでは測れない。しかし、社会に出たときには極めて重要な力になる。
私は時々、子どもたちにこんな話をする。
「応援される人と、応援されない人の違いは何だろう。」
すると多くの子は、「すごい人」「成功している人」と答える。
しかし実際には少し違う。
応援される人は、自分も誰かを応援しているのである。
人は、自分を大切にしてくれる人を大切にしたくなる。認めてもらった人は、今度は誰かを認めたくなる。応援してもらった人は、今度は誰かを応援したくなる。
応援は循環するのである。
学校でも同じだ。
友達の頑張りを認める学級。失敗した仲間を励ます学級。困っている人に自然と手を差し伸べる学級。そうした集団には、不思議と安心感が生まれる。
そして、その安心感が挑戦する勇気につながっていく。
私は、学校づくりも同じだと思っている。
誰か一人が頑張る学校には限界がある。しかし、お互いを認め合い、支え合い、応援し合う文化が根付いた学校は強い。
子ども同士が応援し合う。先生同士が支え合う。保護者と学校が信頼でつながる。そうした関係性が積み重なることで、学校全体に温かい空気が生まれていく。
最近は、個人の能力や結果に目が向きやすい時代である。何ができるか。どれだけ結果を出したか。どれだけ評価されたか。
もちろん、それも大切である。しかし、それ以上に大切なのは、「どんな人であるか」ではないだろうか。
どれだけ優秀でも、人を傷つける人には人は集まらない。どれだけ能力が高くても、感謝を忘れる人は応援されにくい。
一方で、素直で、人に優しく、感謝を伝えられる人の周りには自然と人が集まる。
私は、それこそが人間力なのだと思う。
学校は、テストの点数だけを上げる場所ではない。人から信頼される力、人を応援する力、人と協力する力を育てる場所でもある。
「毎日がスペシャル」
その毎日の中で交わされる「ありがとう」「大丈夫?」「すごいね」という何気ない言葉が、人を育てている。
応援される人は、特別な人ではない。周りの人を大切にできる人である。
そして、応援される人になるための練習をする場所こそ、学校なのだと思う。

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