朝の教室。
「今日も忘れ物?」
「今日もしゃべってるね。」
「今日も席を立つの?」
「今日も何回言わせるの。」
私たちは子どもの成長を願って声を掛けています。
でも、少しだけ立ち止まって考えてみたいことがあります。
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アメリカの国立公園で、不思議な実験が行われました。
「多くの来園者が化石を持ち帰っています。」
という看板を立てた場所では、化石を持ち帰る人が増えました。
一方、
「化石を持ち帰らないでください。」
という看板では、持ち帰る人は大きく減りました。
人は、「してはいけないこと」よりも、「何が当たり前なのか」を基準に行動するからだそうです。
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教室でも、同じことが起きているのかもしれません。
「今日も忘れ物だね。」
この一言は、忘れ物を注意しているつもりでも、
「あなたは忘れ物をする子」
という基準を繰り返し伝えてしまいます。
「今日もしゃべってるね。」
は、
「あなたはしゃべる子」
という自己像をつくってしまうかもしれません。
「今日も」という言葉は、とても強い言葉です。
“今日だけ”ではなく、それがその子の当たり前であることを伝える言葉だからです。
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では、この力をプラスに使ったらどうでしょう。
「今日も自分からあいさつできたね。」
「今日も友達に優しく声を掛けていたね。」
「今日も最後まで話を聞けたね。」
「今日も時間を守れたね。」
こうした言葉は、
「あなたはそういう人なんだよ。」
というメッセージになります。
子どもは、教師の言葉を通して、自分がどんな人間なのかを少しずつ学んでいきます。
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もちろん、できていないことへの指導は必要です。
しかし、それ以上に意識したいのは、
子どもの「当たり前」にしたい姿を、言葉にしているか。
ということです。
私たちが毎日繰り返し言葉にしたことが、その子の自己像になり、その子の行動になっていきます。
さて、明日、子どもたちに掛ける最初の「今日も」は、どんな言葉でしょうか。
教師は、子どもの行動だけでなく、『その子にとっての当たり前』を毎日の言葉で育てている。
心して、教室に向かおうと思います。

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