以前、ある方がこんなことを話していました。
「子どもに主体性など必要ない。」
「教育とは矯正である。」
「主体性という言葉は麻薬のようなものだ。」
その言葉を聞いたとき、私はすぐに反論したいとは思いませんでした。
むしろ、「そう考える背景には、その方が歩んでこられた教員人生があるのだろう」と感じました。
その時代、その時代には、その時代に合った教育があります。
一斉指導が中心で、教師が知識を教え、子どもはそれを正確に身に付けることが求められた時代。その教育は、日本の発展を支え、多くの人材を育ててきました。
だから、その教育を否定するつもりは全くありません。
しかし、今は時代が変わりました。
私には、この議論が、まるで黒電話しか知らない人が、タブレットを見て「そんなもの必要ない」と言っているようにも聞こえました。
黒電話が悪かったわけではありません。
当時は、それが最先端でした。
でも、だからといって、今も黒電話だけで十分だと言う人はいないでしょう。
教育も同じだと思うのです。
教えることは、これからも必要です。
知識を教え、技能を身に付けさせることは、教師の大切な役割です。
しかし、それだけでは足りない時代になりました。
予測が難しい社会では、「答えを知っていること」以上に、「答えのない問いを仲間と考え、解決していく力」が求められています。
その力は、教師が一方的に教えるだけでは育ちません。
子ども同士が対話し、考え、迷い、意見をぶつけ合い、自分たちで答えを導き出す経験の中で育っていくものです。
教師は教える人であると同時に、その学びをデザインする人でもあるのです。
私は、この考え方をサッカー日本代表の森保一監督からも感じています。
給水タイムになると、森保監督は前に立って指示を出し続けるのではなく、選手同士が話し合う時間を大切にしています。
それを見て、「監督は何をしているんだ」と思う人もいます。
しかし、それは100年以上続いてきた「指導者が前に立ち、全員に同じ指示を与える」という発想から見れば、当然の反応なのかもしれません。
一方で、森保監督が育てようとしているのは、「指示を待つ選手」ではありません。
自分たちで状況を分析し、仲間と対話し、判断し、責任を負える選手です。
つまり、主体性であり、判断力であり、協働性です。
これは学校教育で言えば、「思考力・判断力・表現力等」や「主体的に学習に取り組む態度」に通じるものがあります。
だから私は、森保ジャパンが何を目指し、どのような考えで選手主体のマネジメントを行ってきたのかを、日本サッカー協会(JFA)はもっと草の根まで発信するべきだと思っています。
「勝ったから正しい」のではありません。
どんな力を育てたかったのか。
なぜ監督が一歩下がったのか。
なぜ選手同士の対話を大切にしたのか。
そこまで伝えなければ、本質は残りません。
結果だけを見れば、また「指導者が枠を決め、その枠の中だけで考えさせる」という、これまでの指導に戻ってしまうでしょう。
もちろん、その方法にも価値はあります。
しかし、それだけでは、自ら課題を見つけ、自ら考え、自ら仲間と解決していく力は育ちにくいのではないでしょうか。
森保監督が示したボトムアップ型のマネジメントは、サッカーの話だけではありません。
これからの教育にも、組織づくりにも通じる、大きな示唆があります。
だからこそ、その理念を一過性のブームで終わらせてはいけない。
JFAには、森保ジャパンが育てようとした力を、指導法ではなく「人づくりの哲学」として整理し、全国の指導者へ、そして草の根まで丁寧に伝えていってほしいと願っています。
それは、日本サッカーの未来だけでなく、日本の教育の未来にもつながる財産になると、私は信じています。

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