森保一の監督業を見ていると、「なぜもっと指示を出さないのだろう」「監督として仕事をしていないのではないか」と感じる人が少なくない。
しかし、それは森保監督の問題というより、私たちが育ってきた文化の影響ではないだろうか。
日本では、学制以来、およそ150年にわたり、「先生が前に立ち、教え、子どもは聞く」という授業が当たり前だった。
教えることが教師の役割。
指示することが指導者の役割。
その価値観の中で育ってきた私たちは、「教えない指導」に違和感を覚えるのは自然なことである。
だから、森保監督のような選手主体・ボトムアップ型のマネジメントを見ると、「放任ではないか」「もっと指示すべきではないか」と感じてしまう。
しかし、ボトムアップとは、放任ではない。
監督がすべてを決めるのではなく、選手自身が考え、対話し、責任をもち、判断できる集団を育てることである。
これは学校教育でも同じではないだろうか。
前向き一斉授業から、コの字型やグループ型の学びへ移行しようとすると、必ず
「教えないと無理だ」
「子どもには任せられない」
という声が上がる。
それも当然である。
これまでの文化とは逆の発想だからだ。
しかし、もし子どもや選手が、自ら考え、判断し、行動できる人へ育ってほしいと願うなら、変わらなければならないのは、まず大人の学習観・指導観である。
森保監督が挑戦しているのは、単なるサッカーの戦術ではない。
「教える文化」から「学ぶ文化」へのパラダイム転換なのである。
そして、その転換が起きなければ、どれだけ主体性のある選手が集まっても、最後は「監督の指示待ち」に戻ってしまう。
森保監督が育てようとしているのは、日本代表ではなく、日本のサッカー文化そのものなのかもしれない。

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