先日、ある学校を参観する機会がありました。校内を歩いていると、教室の前に、ちりとりやほうき、雑巾などの掃除道具が片付けられないまま置かれている場面に出会いました。ほんの些細なことかもしれません。しかし、私はこうした何気ない光景に、その学校の文化が表れるのではないかと感じました。
もし、自分の学校で同じ場面に出会ったら、皆さんはどう行動するでしょうか。まず、自分でさっと片付けるでしょうか。それとも、その掃除場所の担当教師に「やりっぱなしになっていますよ」と伝えるでしょうか。あるいは、掃除を担当した子どもたちに声を掛け、次から改善できるように指導するでしょうか。
どの行動にも意味があります。しかし、ここで大切なのは、「どれが正解か」ではなく、「何を目的として行動するのか」ということです。
「自分で片付けても、その場しのぎになるだけではないか。」そんな意見を耳にすることがあります。確かに、根本的な改善にはつながらないかもしれません。しかし、それでも私は、教師が率先して行動することには大きな価値があると考えています。
以前、学校の改修工事を数多く手掛けてきた業者の方から、こんな話を聞きました。「長年見てきて、崩れない学校には共通点があります。先生方が業者を案内している最中でも、ごみが落ちていれば何も言わずにさっと拾うんです。」業者の方は、施設だけを見ているわけではありません。学校で働く教師一人一人の姿を見ています。
そして、それ以上によく見ているのは子どもたちです。教師はどんなときに立ち止まり、どんなときに行動するのか。その一挙手一投足が、子どもたちにとって「学校ではこうするものなんだ」という無言のメッセージになります。教師の姿そのものが教育なのです。
もちろん、自分で拾うだけでは組織は変わりません。同じ人が拾い続ける学校では、文化は育ちません。だからこそ、その後に担当教師や子どもたちへ声を掛け、「なぜこうなったのか」「次はどうすればよいか」を一緒に考えることが必要です。率先垂範と組織改善、この両方があって初めて学校文化は育っていきます。
私たちは、子どもたちに安全・安心・安定した学校生活を保障するとともに、感謝と思いやりの心を育てたいと願っています。しかし、それは授業や道徳の時間だけで育つものではありません。落ちているごみを拾う姿、乱れたものを整える姿、誰かの仕事を「自分には関係ない」と通り過ぎない姿。そうした教師の日常の行動こそが、子どもたちの価値観を形づくっていきます。
「これは誰の仕事だろう。」そう考える前に、「この学校をどんな学校にしたいのだろう。」と問い直してみませんか。学校文化は会議で決まるものではありません。私たち一人一人の日々の行動の積み重ねによって、静かに、しかし確実につくられていくものなのです。

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