「代案を示せ」と言う前に

ネットニュースの記事を読んでいて、思わず「なるほどなあ」と考えさせられた。

最近、憲法9条を巡る議論を見ていると、「9条を守れ」と言う人もいれば、「現実に合わせて変えるべきだ」と言う人もいる。立場は様々だが、記事の中で印象に残ったのは、「代案を示せ」という視点だった。(J-CAST ニュース⁠)

確かにその通りだと思う。

反対することはできる。
批判することもできる。

しかし、その先にある「ではどうするのか」という問いに答えることは簡単ではない。

教育現場でも同じである。

「あの授業はよくない。」
「あの指導は違う。」

そう言うことはできる。

しかし、「では代わりにどうするのか」と問われたときに、自分の考えを語れる人は意外と少ない。

批判よりも提案の方が難しいのである。

今回の記事を読みながら、もう一つ感じたことがあった。

それは、憲法9条について語る人の中にも、実は十分に学んでいない人が少なくないのではないかということだ。

もちろん私自身も専門家ではない。

だからこそ思う。

本当に大切なことは、「知っているつもり」になることではなく、「知らないことを認めて学ぶこと」ではないだろうか。

戦争を体験した世代は少なくなった。

空襲を経験した人。
家族を失った人。
食べるものもなく生き延びた人。

そうした人たちの実感は、私たちには想像することしかできない。

だからこそ、想像力が必要なのだと思う。

最近、私は漫画『ペリリュー ―楽園のゲルニカ―』を読んだ。ペリリュー ―楽園のゲルニカ―

太平洋戦争末期のペリリュー島で実際に起きた戦いを描いた作品である。

読み進めるほどに、「戦争とは何か」を考えさせられる。

もちろん漫画である。

しかし、数字や年表だけでは見えてこない一人ひとりの人生がそこには描かれている。

戦争を体験していない私たちにできることは、体験者になることではない。

想像することだ。

学ぶことだ。

そして、考え続けることだ。

憲法9条を守るべきなのか。
変えるべきなのか。

その答えは簡単には出ない。

だからこそ、賛成か反対かだけで終わらせるのではなく、「なぜそう考えるのか」「ではどうするのか」を語り合える社会であってほしいと思う。

学校教育も同じである。

子どもたちには正解を覚える力だけではなく、異なる意見を聞きながら、自分なりの考えを持ち、代案を考えられる力を育てたい。

批判の先に提案を。
対立の先に対話を。

学校は幸せになるためにある。しかし、その幸せを守るためには、歴史から学び、想像し、考え続けることが必要なのだと思う。

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