人は、「認められたい」生き物なのだと思う。
すごいと言われたい。
必要とされたい。
誰かの役に立ちたい。
しかし本当に求めているのは、もっとシンプルなことなのかもしれない。
「あなたがいてくれて嬉しい」
そんな感覚である。
学校現場にいると、改めて感じることがある。
子どもたちは、人とのつながりの中で育っていく。
先生との関係。
友達との関係。
家族との関係。
どれだけいい授業をしても、
どれだけ立派な言葉を並べても、
「自分はここにいていい」
と思えなければ、人は前向きになりにくい。
樺沢紫苑さんは、幸福には三つの種類があると言う。
セロトニン的幸福。
オキシトシン的幸福。
ドーパミン的幸福。
その中で、オキシトシン的幸福とは、「つながり」の幸福である。
信頼。
共感。
感謝。
応援。
安心できる人間関係。
つまり、人とのあたたかいつながりによって生まれる幸福である。
私は、このオキシトシン的幸福が、学校では特に大切なのではないかと思っている。
なぜなら、人は「一人で頑張れ」と言われ続けると、苦しくなるからである。
比べられる。
競わされる。
評価される。
そんな中で、
「あなたのことを見ているよ」
「大丈夫だよ」
「一緒にやろう」
と言ってもらえることが、どれほど人を支えるだろうか。
以前、ある子がぽつりと言った。
「先生、今日、自分の名前を呼んでくれた。」
周りから見れば、小さなことである。
しかし、その子にとっては、とても大きな出来事だった。
人は、「見てもらえている」と感じるだけで、安心する。
存在を認められると、前を向ける。
逆に、人は孤独を感じると、不安定になる。
イライラする。
攻撃的になる。
無気力になる。
これは子どもだけではない。
大人も同じである。
だから私は、学校に必要なのは、「管理」よりも、「関係づくり」なのではないかと思っている。
もちろん、ルールは必要である。
しかし、人は関係性の中で変わっていく。
「この先生の話なら聞いてみよう」
「この仲間となら頑張れそう」
そう思えることが、人を成長させる。
最近、「心理的安全性」という言葉を耳にすることが増えた。
失敗しても大丈夫。
分からないと言っても大丈夫。
助けてと言っても大丈夫。
そんな空気のことである。
私は、この心理的安全性を支えているのが、オキシトシン的幸福なのだと思っている。
つまり、「つながり」である。
誰かが自分を気にかけてくれている。
困ったときに助けてもらえる。
否定されない。
その安心感が、人を挑戦へ向かわせる。
逆に、どれだけ能力があっても、孤独な状態では、人は力を発揮しにくい。
学校の空気は、一人の力だけでつくられるものではない。
先生同士が支え合う。
子ども同士が認め合う。
困ったときには助け合える。
そうした空気が広がることで、安心感は学校全体へ広がっていく。
だからこそ学校は、「競争」だけではなく、「応援」が生まれる場所であってほしい。
私は、「応援される人になる」という言葉を大切にしている。
応援される人とは、完璧な人ではない。
素直な人。
感謝できる人。
仲間を応援できる人。
そういう人の周りには、自然と人が集まる。
そして実は、応援される経験をした子は、今度は誰かを応援できるようになる。
幸せは、つながっていくのである。
「毎日がスペシャル」
私はこの言葉が好きである。
何気ない会話。
何気ない「おはよう」。
何気ない笑顔。
そういう日常の積み重ねが、人の心をあたためている。
学校は、勉強だけを教える場所ではない。
人と人がつながることのあたたかさを学ぶ場所でもある。
「いてくれて嬉しい」
その空気が、人を育てるのである。

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