第4回 「いてくれて嬉しい」が人を育てる 〜オキシトシン的幸福とつながり〜

人は、「認められたい」生き物なのだと思う。

すごいと言われたい。
必要とされたい。
誰かの役に立ちたい。

しかし本当に求めているのは、もっとシンプルなことなのかもしれない。

「あなたがいてくれて嬉しい」

そんな感覚である。

学校現場にいると、改めて感じることがある。

子どもたちは、人とのつながりの中で育っていく。

先生との関係。
友達との関係。
家族との関係。

どれだけいい授業をしても、
どれだけ立派な言葉を並べても、

「自分はここにいていい」

と思えなければ、人は前向きになりにくい。

樺沢紫苑さんは、幸福には三つの種類があると言う。

セロトニン的幸福。
オキシトシン的幸福。
ドーパミン的幸福。

その中で、オキシトシン的幸福とは、「つながり」の幸福である。

信頼。
共感。
感謝。
応援。
安心できる人間関係。

つまり、人とのあたたかいつながりによって生まれる幸福である。

私は、このオキシトシン的幸福が、学校では特に大切なのではないかと思っている。

なぜなら、人は「一人で頑張れ」と言われ続けると、苦しくなるからである。

比べられる。
競わされる。
評価される。

そんな中で、
「あなたのことを見ているよ」
「大丈夫だよ」
「一緒にやろう」

と言ってもらえることが、どれほど人を支えるだろうか。

以前、ある子がぽつりと言った。

「先生、今日、自分の名前を呼んでくれた。」

周りから見れば、小さなことである。

しかし、その子にとっては、とても大きな出来事だった。

人は、「見てもらえている」と感じるだけで、安心する。

存在を認められると、前を向ける。

逆に、人は孤独を感じると、不安定になる。

イライラする。
攻撃的になる。
無気力になる。

これは子どもだけではない。

大人も同じである。

だから私は、学校に必要なのは、「管理」よりも、「関係づくり」なのではないかと思っている。

もちろん、ルールは必要である。

しかし、人は関係性の中で変わっていく。

「この先生の話なら聞いてみよう」
「この仲間となら頑張れそう」

そう思えることが、人を成長させる。

最近、「心理的安全性」という言葉を耳にすることが増えた。

失敗しても大丈夫。
分からないと言っても大丈夫。
助けてと言っても大丈夫。

そんな空気のことである。

私は、この心理的安全性を支えているのが、オキシトシン的幸福なのだと思っている。

つまり、「つながり」である。

誰かが自分を気にかけてくれている。
困ったときに助けてもらえる。
否定されない。

その安心感が、人を挑戦へ向かわせる。

逆に、どれだけ能力があっても、孤独な状態では、人は力を発揮しにくい。

学校の空気は、一人の力だけでつくられるものではない。

先生同士が支え合う。
子ども同士が認め合う。
困ったときには助け合える。

そうした空気が広がることで、安心感は学校全体へ広がっていく。

だからこそ学校は、「競争」だけではなく、「応援」が生まれる場所であってほしい。

私は、「応援される人になる」という言葉を大切にしている。

応援される人とは、完璧な人ではない。

素直な人。
感謝できる人。
仲間を応援できる人。

そういう人の周りには、自然と人が集まる。

そして実は、応援される経験をした子は、今度は誰かを応援できるようになる。

幸せは、つながっていくのである。

「毎日がスペシャル」

私はこの言葉が好きである。

何気ない会話。
何気ない「おはよう」。
何気ない笑顔。

そういう日常の積み重ねが、人の心をあたためている。

学校は、勉強だけを教える場所ではない。

人と人がつながることのあたたかさを学ぶ場所でもある。

「いてくれて嬉しい」

その空気が、人を育てるのである。

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