「過去のOS」に惑わされるな。畑喜美夫さんとボトムアップが示す、本当の組織の進む道
「なぜ、前例のない挑戦をする人は、これほどまでに批判されるのでしょうか。」
新しい試みが始まるとき、決まって聞こえてくる声があります。「そんなやり方では通用しない」「もっと厳しく管理するべきだ」。
スポーツ界でも教育現場でも、これまでにないアプローチで成果を出そうとすると、必ずと言っていいほど強い逆風が吹きます。特にサッカー日本代表を率いる森保一監督の采配やマネジメント、そしてかつて広島観音高校サッカー部を率いて全国制覇を成し遂げた畑喜美夫さんのボトムアップ理論に対しては、これまでも様々な議論が巻き起こってきました。
しかし、何を言われようとも、彼らはその声をさらっと受け流しながら、自身の道を歩み続けています。ここに、私たちがこれからの組織づくりや教育を考える上で、非常に重要なヒントが隠されているのです。
ボトムアップの先駆者が直面する「変革のジレンマ」
畑喜美夫さんが広島観音高校サッカー部で実践し、のちに安芸南高校などでも証明してきた「選手主体」のボトムアップ指導。それは単なる戦術論ではなく、「人は環境によって成長する」「主体性は引き出すもの」という強い信念に基づいた実践でした。
誰も成し遂げたことのないこと、前例のない仕組みを作ろうとするとき、必ず壁にぶつかります。
選手たちが主体的に考え、対話し、自分たちでチームを創り上げる。その状態が生まれても、過去の価値観に囚われた指導者や組織が介入してくると、悲劇が起きます。
「もっと言うことを聞かせなければならない」
「これまでのやり方に戻したほうが確実だ」
そう言って、大人が再びコントロールしようとするのです。その結果、一時的に「指導者の言うことを聞く強いチーム」に戻ることがあります。表面上は規律が保たれ、成果が出たように見えるため、「やっぱり昔のやり方が正しかったのだ」という声が大きくなります。
「だから、森保はダメだった」
「だから、ボトムアップなんて甘いんだ」
世間はそう言って、一時的な結果や一部の切り取りで批判を繰り返します。
「過去のOS」で動く人たちの戯言
しかし、物事の本質はそんなに単純ではありません。
選手主体から再び管理型に戻ったチームは、その瞬間は機能するように見えても、時間が経つにつれて、徐々に自立心を失い、弱くなっていきます。自ら考え、行動する力が削がれていくからです。これは偶然ではなく、必然の結果です。
ここに大きな世代間のズレ、そして認識のズレがあります。
今、日本サッカー協会(JFA)が示している方向性は、まさに学校教育や現代社会が目指す「主体的・対話的で深い学び」の最先端です。選手一人ひとりを信じ、自ら立ち上がる力を引き出す。その挑戦の姿を、私たちは目の当たりにしています。
それにもかかわらず、批判する人たちは、古い時代の基準で物言いをします。
過去の価値観のまま、昔のやり方を正解だと思い込んでいる人たちの言葉は、例えるなら「黒電話時代」の感覚でスマートフォンの使い方を論じるようなものです。OSがまったく違うのですから、話がかみ合うはずもありません。
新しい時代を切り拓く人たちに対して、過去のOSのまま生きる人たちが何を言おうとも、それに惑わされる必要は全くありません。
私たちの足元にある環境を見つめ直す
この構造は、サッカー界の話だけに留まりません。
私たちが関わる学校の教室、家庭の子育て、そして企業やチームといったあらゆる組織においても、まったく同じことが言えます。
「子どもを信じて任せてみたいけれど、周りの目が気になる」
「部下に裁量を与えたいけれど、結局自分で指示を出してしまう」
新しい環境や主体的な関わりを創ろうとするとき、古い価値観や「もっと管理すべきだ」というプレッシャーが必ず襲ってきます。変化の過渡期には、ハイブリッドな状態になり、混乱が生じることもあるでしょう。
しかし、そこでブレてはいけないのです。本当に大切なことは、目先の批判に屈することではなく、人が自ら考え、輝ける環境を信じ抜くこと。環境は変えることができます。そして、困難な状況があっても、それを環境のせいだけにせず、自分たちができる問いを立て続けることが求められます。
あなたの周りには、過去の常識に縛られず、新しい時代の可能性を信じられる環境がありますか。
明日から、ほんの少しだけでも、誰かの「主体性」を引き出す関わりを意識してみませんか。
JFAの方々へ
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