
「どうして、うちのクラスはまとまらないんだろう」 「もっと自分から動いてほしい」 「こちらが言わないと、いつまでも指示を待っている」
職員室やコーチングの現場で、そんな言葉を耳にすることは少なくない。 子どもや選手たちが主体的に動いてくれないとき、大人はどうしても「彼らにどうやって動いてもらうか」ばかりを考えてしまう。 声を掛け、指導し、ルールを厳しくし、ときには背中を押す。
それでも、大人が離れた途端に動きが止まる。 教師が問いかければ答えるが、黙れば教室もしんと静まり返る。 「もっと主体の的に」と言えば言うほど、子どもたちは指示待ちになっていく。
そんな光景に直面したとき、私たちは無意識のうちに、目の前の子どもや選手たちの姿勢を責めてしまっていないだろうか。 「最近の子は主体性がない」「うちのチームにはリーダーが育たない」と。
だが、少し立ち止まって考えてみたい。 それは本当に、子どもたち自身の問題なのだろうか。
味噌づくりを想像してみる。 大豆がある。しかし、大豆がそこにあるだけでは、決して味噌にはならない。 麹や塩を加え、温度や湿度を整え、発酵が起こるための条件を時間をかけて仕込んでいく。
ここで大切なのは、「変化を求める前に、変化が起こりやすい条件を仕込む」という発想の転換だ。 教育やスポーツの現場でも、同じことが言えるのではないか。
前向き一斉型の教室や、指導者が中央に立ち続ける練習の場では、子どもや選手の視線はつねに「上」を向いている。 仲間同士の顔は見えず、聞こえるのは大人の声だけ。 そんな空間で「さあ、自分から関わりなさい」「主体的に動きなさい」と言われても、それは日常ではなく、大人の合図でスイッチが入る「特別な活動」でしかない。
では、大豆をどう仕込むのか。
コの字型の座席にする。お互いの表情や小さなつぶやきが自然と目に入る距離感をつくる。 練習であれば、選手同士が声を掛け合わなければボールが回らないようなメニューを置く。 一つ一つの工夫は、本当に小さなものだ。
しかし、その小さな相互作用が毎日、何気なく繰り返される。 目線が交わり、会話が生まれ、助けたり助けられたりする。 その積み重ねが、やがて「このチームでは、こうするのが当たり前だ」という空気、すなわち「文化」を醸していく。
私たちはしばしば、子どもの「行動」を直接変えようとする。 けれど、本当に変えるべきなのは、行動そのものではなく、その行動が自然と引き起こされる「環境のデフォルト」ではないだろうか。
子どもが自分から動かないのは、自分から動かなくても生きていける環境に浸かっているからかもしれない。 友達と話さないのは、顔が見えない配置になっているからかもしれない。
味噌にならない大豆を責める前に、そもそも私たちはどんな仕込みをしただろうか。
明日、教室のドアを開けたら、あるいはグラウンドに足を踏み入れたら、子どもや選手を見る前に、まずその空間を見渡してみてほしい。 そこにどんな目線が交わり、何がデフォルトになっているのか。
教育とは、人を変えることだけではない。 変わり合える条件を丁寧に仕込み、時間をかけて文化を育むこと。
あなたの現場では今、大豆はどう仕込まれていますか?

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