
「もっと早く準備しておけばよかった……」 テストの前夜や、大事な仕事の直前になって、そんな後悔に駆られた経験はないだろうか。
計画通りに進まない焦り。 足りない時間を埋めように、慌てて机に向かう夜。
私たちは、「結果を出すため」に準備をする。 合格するため。試合に勝つため。失敗しないため。
だから、準備が不十分だと感じたときは、それだけで心が折れそうになる。 「もうダメかもしれない」と、本番を迎える前から縮こまってしまう。
でも、本当に準備の価値は「結果を保証すること」だけにしかないのだろうか。
10年前の夏休み、人生を左右するような大きな試験を控えていた。
かなり前から準備を始め、「ここまではやろう」という最低ラインを決め、さらに「ここまでやったら自分はやり切ったと思える」というところまで積み重ねた。
「ここまでやったんだから、大丈夫」
そう思えるところまで来ていながら、人間というのは不思議なもので、前日になっても「もう少しだけやっておきたい」と図書館へ向かった。
閉館まで地獄のような気持ちで机に向かい、最後は「よし、やった」とやり切って外に出た。
ところが、家に帰ってからとんでもないことに気づいた。 財布や免許証、保険証の入った肩掛けカバンを、その図書館に忘れてきたのだ。
明日は大事な試験。 よりによって、その前日に。
慌てて戻ったが、すでに閉館時間は過ぎていて、電話も出ない。 「明日、どうしよう……」
ゆっくり休んで本番に備えるはずが、夜になってから大きな心配事が降ってきた。 ドキドキして落ち着かない。 「もっと早く帰ればよかった」という後悔も頭をよぎる。
そんなとき、妻がかけてくれた言葉にハッとした。
「やるべきことは、もうやってきたんじゃない?」 「試験が終わったら、その大事なものも戻ってくると思えばいいんじゃない?」
そうだ。 今の自分には、もうどうすることもできない。 だったら、明日の試験に向けて、自分にできることを考えるしかない。
ふと思った。 「自分は、やるべきことをやってきた」
もし、準備が十分にできていなかったら。 もし、「もっとやっておけばよかった」と思いながら前日を迎えていて、その状態でカバンまでなくしていたら。
きっと、パニックになっていたはずだ。 「カバンもない。準備もできていない。明日はどうなるんだ」と、自分の足元がすべて崩れ去るような絶望感に襲われていただろう。
でも、あのときは違った。 カバンはない。困った。 それでも、「試験に向けて、自分がやるべきことはやった」という感覚が、自分の中に確実にあった。
だから、「カバンのことは、試験が終わったら何とかなる」と切り替えることができた。
結果として、試験中の自分を支えてくれたのは、特別な裏技でも何でもなく、これまで自分がコツコツと積み重ねてきた事実だった。 試験が終われば、カバンも無事に戻ってきた。
10年経った今、あの夜を振り返って思うことがある。
私たちはつい、「準備=結果を出すためのもの」と考えがちだ。 もちろん、それも間違いではない。
しかし、どれだけ準備をしても、人生には予想外のことが起きる。 前日にカバンを忘れることだってあるし、本番で思い通りにいかないことだってある。
だからこそ、「これだけやった」という感覚が大切なのではないか。
その感覚は、試験に合格することを保証してくれるわけではない。 でも、何か予想外のトラブルが起きたとき、あるいは心が折れそうな逆境に立たされたとき、
「大丈夫。自分はここまでやってきた」
と、自分自身の足で立つための「余白」を心に残してくれる。
そして、その感覚は、一朝一夕ではつくれない。 一問、一問。 一冊、一冊。 一日、一日。
「今日はここまでやろう」と決め、それを地道に積み重ねる。 その小さな歩みの積み重ねだけが、いざというときに自分を支えてくれる土台になる。
人生には、自分ではどうにもできないことが必ず起きる。 そんなとき、最後に自分を救うのは、華やかな才能でも、巧みなテクニックでもなく、「これだけやった」という静かな自負なのだろう。
だから、今日も一つ。 明日も一つ。
「これだけやった」と思えるものを、目の前の日常に少しずつ置いていきたい。
もし今日、思い通りにいかないことがあったり、予想外のトラブルに直面したりしているなら。 あるいは、これから何か大きな挑戦を控えているなら。
今、あなたの中には「これだけやった」と言える積み重ねはあるだろうか。
今日という一日を、あなたはどんなふうに積み重ねていくだろうか。
この記事を読んで、ふと自分のこれまでの歩みや、近くで頑張っている誰かの顔が思い浮かんだなら。 今夜、その人と「最近、どんな小さな積み重ねをしている?」と、とりとめもない話をしてみるのもいいかもしれない。

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