「お母さん、ちょっと聞いてよ」 そうやって日常のささいな出来事を話せる相手が、大人になっても心の中にいるかどうか。
子どもの頃は、毎日当たり前のようにそばにいてくれた存在。 進路に悩んだ時、試合で負けて悔しくて仕方がなかった時、ただ黙ってうなずいてくれた背中。
ふと耳に入ってきた氷川きよしさんの『母』という歌の歌詞を読んだとき、そんな記憶の引き出しが静かに開く感覚がありました。
「私はお前の味方だと、涙で誓ってくれた人」
このフレーズに触れた時、教育やスポーツの現場で「人を育てる」ということの本質は、ここにあるのではないかと立ち止まらせられます。
指導とは「教えること」ではなく「背中を見せること」かもしれない
私たちはつい、子どもや選手、あるいは職場の後輩に対して、「どうやって教えようか」「どうやったら動いてくれるだろうか」と考えてしまいます。
もっと声を荒らげた方がいいのか。 もっと分かりやすく手順を示した方がいいのか。
けれど、本当に心に残り、人が自ら動き出すきっかけになるのは、言葉の巧みさではありません。
「この人は、どんな時でも自分を信じてくれている」 「たとえ世界を敵にまわしても、味方でいてくれる人がいる」
そんな確信が、人の心に「もう一度やってみよう」という底力を生み出します。
教育現場でも、スポーツの指導でも同じです。 大人が「うまくやらせよう」「コントロールしよう」と手を出しすぎた時、子どもたちの目はどこか曇っていきます。
逆に、どれだけ失敗しても、その挑戦のプロセスそのものを丸ごと受け止めてくれる存在がいる環境では、子どもたちは自然と顔を上げ、主体的に動き始めます。
人は、環境によって成長する。 そして、その環境の最も大きな部分は、「どんな人と出会い、どんな関わりの中で過ごすか」という人間関係の中にあります。
励まされ、そして「自分も誰かの味方になる」
「あきらめなければ負けないと励ましつづけてくれた人」
そうやって誰かに信じてもらった経験がある人は、今度は自分が誰かにとっての「安心できる環境」をつくる側になっていきます。
学校の教室であれ、グラウンドであれ、家庭であれ、私たちが大人としてできる最大のことは、正解を押し付けることではなく、「君なら大丈夫だ」と静かに信じ続けることなのかもしれません。
うまくいく日ばかりではありません。 思い通りにいかず、ふと立ち止まる夜もあります。
そんな時、ふと心の中で思い浮かべられる存在が一人でもいるということ。 それだけで、人はまた明日の一歩を踏み出すことができます。
今日の帰り道、あるいは少しだけ時間が空いた時に、あなたの心に浮かぶのは誰の顔でしょうか。
もし今日、誰かと話す機会があったら、自分が誰かにかけてもらって嬉しかった言葉を、思い出しながら誰かに届けてみませんか。

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