なぜ、同じ宿題を出しても、成長する子とそうでない子がいるのでしょうか。
毎日当たり前のように出される宿題。子どもたちは机に向かい、出されたページを埋めていく。でも、ふと思うのです。この時間は本当に子どもたちの未来のためになっているのだろうか、と。すべての生徒に同じ内容の宿題を出すとき、そこには見落とされがちな大きな課題が潜んでいます。すでにできる生徒にとっては無駄な時間になり、自分のペースで進めたい生徒にとっては足かせになる。一方で、一人では解決できない苦手な生徒にとっては、ただの苦痛や劣等感を生む作業になってしまう。学ぶ喜びを感じるどころか、「こなすこと」が目的になってしまう姿を見るのは、指導者としても胸が痛むものです。
ここで考えてみたいのは、学習の本質とは何かということです。知らなかったことが分かるようになる、できなかったことができるようになる。そのプロセスの中にこそ、本当の学びがあります。しかし、一律の宿題に追われると、子どもたちは「分からないこと」に向き合う余裕を失ってしまう。答えを写したり、形だけを提出したりして、「分からないことを飛ばす技術」ばかりが巧みになっていく。指示されないと動けない、タスクをこなすだけの習慣がついてしまう。大人も子どもも関係なく、自ら課題を発見し、解決する力が少しずつ削ぎ落とされていくような危機感を覚えるのです。
宿題を出すことによる最も本質的な問題は、課題を提示されないと行動できなくなるという「主体性や自律性の喪失」にあります。社会が急激に変化し、答えのない時代を生きる子どもたちにとって、一番必要なのは自ら考え、行動する力です。誰かに言われたことだけをこなす生き方では、変化の激しい波を乗り越えることはできません。主体性を取り戻すには時間がかかります。だからこそ、日々の小さなやり方から見つめ直す必要があるのです。
これは学校の授業や宿題に限った話ではありません。私たちが関わるスポーツのチームや、職場のマネジメントでも全く同じことが言えます。上司や指導者がすべての指示を出し、細かく管理すればするほど、現場の主体性は失われていきます。大切なのは、個人の努力不足を責めることではなく、自ら考えたくなるような環境をどう創るかという視点です。
あなたの周りには、指示がなくても自分で考え、挑戦したくなるような環境がありますか。明日からは、少しだけ「教えること」を手放し、子どもや仲間の「自分でやろうとする力」を信じて待ってみませんか。

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