「学校って、何のためにあるんですか?」
そう聞かれたとき、私たちは何と答えるだろう。
勉強をするため。社会に出る準備をするため。将来困らないようにするため。もちろん、どれも大切である。
しかし最近、私は別のことを強く考えるようになった。
それは、学校は「幸せになる練習」をする場所なのではないか、ということである。
今、学校現場には様々な課題がある。不登校、いじめ、自己肯定感の低下、人間関係の難しさ。大人も子どもも、どこか余裕を失っているように感じる。
「頑張れ」「もっとできる」「甘えるな」
そんな言葉だけでは、どうにもならない場面が増えている。
では、なぜ人は苦しくなるのだろうか。
そのヒントになるのが、樺沢紫苑さんが語る「幸せ」の考え方である。
樺沢さんは、人の幸福には主に三つの種類があると言う。
一つ目は、セロトニン的幸福。
健康。心と体の安定。朝スッキリ起きられること。ホッとできること。安心できること。土台となる幸福である。
二つ目は、オキシトシン的幸福。
人とのつながり。信頼。「自分はここにいていい」と感じられる状態である。
三つ目は、ドーパミン的幸福。
達成感。成長。挑戦して「できた!」を感じる状態である。
そして、とても大切なのは、幸せには「順番」があるということだ。
まず健康と安心。次につながり。そして挑戦。
この順番が土台になる。
例えば、強い不安を抱えている子に、「もっと頑張れ」「挑戦してみよう」と言っても、なかなか届かないことがある。なぜなら、心と体が安心できていないからである。
怒られ続ける。比較される。否定される。失敗を笑われる。
そんな環境では、人は挑戦する前に、自分を守ろうとする。
つまり、健康や安心感がない場所では、人は育ちにくいのである。
私は、「子どものせいにしない」という言葉を大切にしている。
もちろん、ルールや社会性は必要である。しかし、表面に見える問題だけを見て、「あの子が悪い」で終わってしまえば、本当に大切なものを見失ってしまう。
その子は、どんな不安を抱えているのか。どんな孤独を感じているのか。本当は、どんな言葉を求めているのか。
そう考え続けることが、教育なのではないかと思う。
学校には、学力向上も必要である。しかしそれ以前に、
「朝、学校へ行くとホッとする」
「おはようと言ってもらえる」
「仲間がいる」
「失敗しても大丈夫と思える」
「誰かが自分を見てくれている」
そんな場所であることが、実は一番大切なのではないだろうか。
「毎日がスペシャル」
私はこの言葉が好きである。
何気ない日常。いつもの教室。いつもの友達。いつもの先生。
当たり前に見える毎日も、本当は二度と戻らない。
だからこそ学校は、点数だけを競う場所ではなく、「幸せに生きる力」を学ぶ場所であってほしい。
健康だから、人とつながれる。人とつながれるから、挑戦できる。挑戦できるから、「できた!」が生まれる。
その積み重ねが、自己肯定感や自己有用感につながっていく。
学校は、勉強だけを教える場所ではない。
人が人として、幸せに生きていくための土台を育てる場所である。
まず健康と安心。次につながり。そして挑戦。
学校は、幸せを練習する場所なのである。

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