
職場で同僚や部下が体調を崩したとき、頭の中に真っ先に浮かんんでくるのはどんなことでしょうか。
「療養休暇の手続きって、どう進めるのだろう?」
「どのくらいの期間を超えると病気休職になるんだろう?」
「法律上の扱いはどう違うのかな?」
慌てて規程を調べたり、書類をそろえたり。
頭の中で制度やルールを必死に整理している自分に気づく。
休ませてあげなきゃいけない。間違いのないように対応しなきゃいけない。 そう思えば思うほど、事務手続きや制度の定義に意識がいってしまう。
でも、どこかで胸の奥が少しだけざわつく瞬間はありませんか。
「制度の違い」を頭で理解した気になっているとき、僕たちは一番大切なものを見落としていないだろうか、と。
制度の言葉は、どうしても硬く冷たく聞こえます。
「負傷や疾病のために定められた期間、勤務を免除する制度」 「心身の故障のため長期の休養を要する場合の、分限上の措置」
組織を円滑に回すため、人を管理するためには必要な定義かもしれません。 けれど、今まさに心や体を痛めて立ち止まろうとしている本人にとって、その分類はどうでもいいことです。
彼らが本当に必要としているのは、制度の説明でも、法律の条文でもありません。
「いまの自分は、休んでもいいんだろうか」 「ここに戻ってくる場所はあるんだろうか」
という、切実な安心感です。
少し視点を変えてみたいのです。
「療養休暇」と「病気休職」という2つの言葉。 これは単なる「手続きの区別」ではなく、その人がいま必要としている「休みの深さ」を表すサインなのかもしれません。
ちょっとベンチに座って息を整えれば戻れるのか。 それとも、一度すべての荷物を下ろして、港でじっくり船を修理する必要があるのか。
心理学では、人が安心して挑戦したり、傷ついたときに戻ってこられたりする場所を「安全基地(セキュアベース)」と呼びます。
制度とは、人を管理して枠にはめるためのものではなく、この「安全基地」を組織の中にちゃんとつくるための道具なのだと思うのです。
「分限上の措置」という言葉の裏側にあるのは、見放すことではなく、「いまは職務という責任から完全にあなたを守りますよ」という組織からの約束です。
だからこそ、僕たち周囲の大人がやるべきことは、書類を完璧に整えること以上に、「関係性の環境」を整えることではないでしょうか。
本人のプライバシーや健康に配慮しながら、周囲の仲間や必要な専門機関と手をつなぐ。 「手続きのことは全部こちらでやっておくから、今は自分のことだけを考えてね」と言ってあげる。
制度という冷たい枠組みの中に、どれだけ人間の体温を込められるか。 そこに、リーダーや周囲の人の本当の役割がある気がします。
もし明日、あなたの周りで辛そうにしている人がいたら。 あるいは、休みに入ろうとしている仲間がいたら。
手続きの書類を手渡す前に、心の中で一度だけ問いかけてみてください。
「自分は今、制度に合わせて人を動かそうとしているだろうか。それとも、その人が安心して戻ってこられる環境をつくろうとしているだろうか」
そして、短く一言だけ、温かい言葉を添えてみてください。
「ここは変わらずあなたの場所だから、安心して休んでね」と。
その一言が、立ち止まった人がもう一度歩き出すための、小さな灯火になるはずです。

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