次期学習指導要領の議論の中で、「実装」という言葉が使われるようになるという話を耳にしました。もしそうだとしたら、教育現場にとって非常に大きな転換点になるかもしれません。これまで私たちは、主体的・対話的で深い学び、個別最適な学びと協働的な学び、インクルーシブ教育、共生社会の形成といった理念を繰り返し学んできました。しかし、私はいつも一つの疑問を抱いています。それは、「その理念は、本当に教室の中に実装されているのだろうか」ということです。
例えば、生徒指導提要では共生社会の形成が強調されています。多様性を認め合うこと、他者を尊重すること、協働すること、共に生きること。どれも大切な考え方です。しかし、その社会の縮図である教室を見たとき、私たちは今もなお前向き一斉配置を当たり前にしています。もちろん、教師の説明を聞くには合理的な配置です。しかし、共生社会を育てる環境として考えたとき、本当にそれがデフォルトでよいのでしょうか。
ここで、「前向きの座席配置でも子どもたちは話しているではないか」という声が聞こえてきそうです。確かにその通りです。朝の時間もありますし、休み時間もあります。前向き配置だから対話が起きないわけではありません。しかし、私が問いたいのは、対話が起きるかどうかではありません。教室が子どもたちに何を「当たり前」として伝えているかです。
前向き配置が教室の標準である限り、子どもたちは無意識のうちに「学びとは先生を見ること」「前を見ることが正しいこと」というメッセージを受け取り続けます。一方で、コの字型やアイランド型が標準であれば、「仲間と共に学ぶことが当たり前」というメッセージになります。環境は行動を保証しません。しかし、環境は行動を方向付けます。私は、対話を増やしたいのではありません。仲間の存在を感じることを日常にしたいのです。共生社会とは、まず相手の存在を認識することから始まります。前向き配置でも話はできます。しかし、コの字型やアイランド型では、話していなくても仲間の顔が見えます。仲間の表情が見えます。仲間の存在が見えます。その違いは決して小さくありません。
近年の脳科学では、人は他者とのつながりの中で安心感を得て学ぶことが分かってきています。相手の表情を見ること、うなずきを感じること、認められていることを実感すること。そうした関係性の中で安心感が生まれ、学習への意欲や挑戦する力が高まります。つまり、人は人とのつながりの中で育つのです。
だから私は、授業中に話し合い活動を増やそうと言いたいのではありません。授業で必要なときにグループにすることを提案しているのでもありません。そうではなく、教室のデフォルトそのものを変えたいのです。今の学校は、前向き一斉配置が当たり前で、必要なときだけグループになり、必要なときだけコの字になります。つまり、対話が特別な活動になっています。しかし、共生社会を本気で目指すのであれば逆ではないでしょうか。コの字型やアイランド型を日常にする。仲間の顔が見えることを当たり前にする。そして教師による説明が必要なときだけ前向きになる。つまり、「説明」が特別で、「つながり」が日常になる教室です。
私は、それこそが実装だと思っています。実装とは、新しい活動を増やすことではありません。話し合いの回数を増やすことでもありません。理念を掲げることでもありません。当たり前を変えることです。共生社会を目指す。協働的な学びを実現する。主体的・対話的で深い学びを推進する。もし次期学習指導要領が本当に「実装」を重視するのであれば、問われるのは新しい指導法ではありません。子どもたちが毎日過ごす環境です。私は、実装とは環境を変えることだと思っています。そして、その第一歩は教室のデフォルトを問い直すことではないでしょうか。
なぜ共生社会を目指しながら、私たちは今も前だけを向いて学んでいるのでしょう。

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