文部科学省の「生徒指導提要(改訂版)」を読むと、「共生社会」という言葉が繰り返し登場します。そこでは、多様性を認め合い、他者を尊重し、協働しながら社会をつくる人を育てることが、生徒指導の重要な目的として示されています。また、「教え込む教育からの脱却」や、「児童生徒が自発的・主体的に成長する過程を支える教育活動」という考え方も強調されています。
私は、この方向性そのものには大いに賛成です。しかし、生徒指導提要を読み進める中で、一つの疑問が浮かびました。それは、「目指す社会像と、子どもたちが毎日過ごしている教室環境は本当に一致しているのだろうか」ということです。
共生社会とは、誰もが相互に人格と個性を尊重し、多様な在り方を認め合いながら共に生きる社会です。だとすれば、その社会の縮図であるはずの教室もまた、そのような関係性が生まれやすい環境でなければなりません。しかし、現実の教室を見渡してみると、多くの場合、子どもたちは教師の方を向いて整然と座っています。隣の友達の顔は見えても、学級全体の仲間の表情を見ることは難しく、自然な対話が生まれる構造にはなっていません。
もちろん、教師の説明を聞く場面では前向きの座席配置にも大きな意味があります。しかし、一日の大半をその状態で過ごすことが、本当に共生社会を育む環境と言えるのでしょうか。
近年の脳科学では、人間の安心感や信頼感は、人とのつながりによって生まれることが分かってきています。相手の表情を見る、うなずきを受ける、笑顔を交わす、自分の存在を認めてもらう。そうした相互作用によって、安心感や信頼感に関わるオキシトシンの分泌が促されると考えられています。つまり、人は「人とつながること」によって安心し、その安心感の中で学び、成長していくのです。
ところが、前向き一斉配置の教室では、どうしても教師と子どもの関係が中心になります。子ども同士が互いの存在を感じたり、自然に認め合ったりする機会は限られます。言い換えれば、「他者とつながる経験」よりも、「教師から情報を受け取る経験」が優先されやすい環境だと言えるかもしれません。
私は、共生社会は教えるものではなく、経験するものだと思っています。どれだけ人権教育を行っても、どれだけ多様性の大切さを語っても、日常生活の中で他者と関わり、認め合い、助け合う経験がなければ、その価値観は根付きにくいのではないでしょうか。子どもたちは、教師の話からだけでなく、自分たちが置かれている環境そのものから学んでいます。
学校は社会の縮図だと言われます。もし本当に共生社会を目指すのであれば、教室もまた共生社会のプロトタイプである必要があります。安心して話せること、自分の考えを受け止めてもらえること、仲間の表情や反応を感じながら学べること。そうした環境があってこそ、多様性を認め合う力や協働する力は育っていくのだと思います。
座席配置は単なるレイアウトの問題ではありません。そこには、その学校がどのような学びを大切にしているのか、どのような人を育てたいのかという教育観が表れます。知識を効率よく伝えることを優先するのか。それとも、人と共に生きる力を育てることを重視するのか。その問いは、実は教室の机の並び方の中に表れているのです。
生徒指導提要は、共生社会の形成という大きな方向性を示しました。しかし、その理念を本当に実現しようとするならば、文章を読み込むだけでは不十分です。子どもたちが毎日過ごす教室環境そのものを見直していく必要があります。理論と実践をつなぐ。その第一歩は、教室の風景を問い直すことから始まるのかもしれません。

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