強くなることは、本当に目的なのだろうか。

スポーツに携わっていると、ふと考えることがあります。

「何のために強くなるのだろう。」

勝つため。
レギュラーになるため。
強豪校へ進学するため。

どれも間違いではありません。

でも、それだけを目的にしてしまうと、どこか苦しくなります。

高校に入れば、また新しい競争が始まる。

高校を卒業すれば、今度は大学や社会での競争が待っています。

「強くなること」を目的にすると、人生は終わりのない競争になってしまいます。

最近読んだ「スポーツマンのこころ」という論文では、スポーツの目的は「スポーツを楽しみ、スポーツを通して自分自身を成長させること」だと述べられていました。

そして、そのためには、

「自分のため」
「仲間のため」
「ゲームのため」

という三つの心構えが大切だと書かれています。

ここで大切なのは、「成長すること」そのものが目的だという点です。

そして私は、その“成長した姿”とは何なのかを考えました。

技術が上手いことでも、勝ち続けることでもなく、

人としてどう在るか。

その一つの答えが、

「応援される人」

でした。

つまり、「応援される人になること」は、スポーツを通して人として成長した“結果の姿”なのかもしれません。

応援される人は、「応援してください」と言う人ではありません。

自分を磨き続ける人。

仲間のために動ける人。

感謝を忘れない人。

苦しい場面でも誠実であり続ける人。

そんな生き方を積み重ねた結果として、

「この人を応援したい。」

そう思われる存在になります。

だから私は、「応援されること」を目的にはしません。

目的は、応援したくなる生き方をすること。

その結果として、応援される人になるのです。

強くなることも、その一つです。

でも、強さは目的ではありません。

応援したくなる人になるための、一つの手段です。

サッカーは、いつか終わります。

しかし、人としての人生は、その後も続いていきます。

だから私は、子どもたちに「強い選手になろう」よりも、「応援される人になろう」と伝えたい。

その言葉の方が、サッカーが終わった後も、その人の人生を支え続けてくれると信じているからです。

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