「おめでとう」の裏で、なぜ人は「すみません」と謝ってしまうのか

職員室や職場で「妊娠しました」「産休に入ります」という報告を受けたとき。

「本当におめでたいね!」「おめでとう!」

みんな笑顔で拍手を送る。間違いなく祝福の気持ちでいっぱいです。

けれど、拍手が鳴り止んだあと、どこか頭の片隅でこんな思いが一瞬よぎったことはないでしょうか。

「あ、次の学年主任、誰がやるんだろう」 「担当していた部活や校務分担、誰に回ってくるのかな」

そして同時に、報告したご本人もまた、何度も申し訳なさそうに頭を下げている。

「学期の途中で抜けてしまって、本当にすみません」 「皆さんにご迷惑をおかけして……」

新しい命の誕生という、人生で一番おめでたいはずの出来事なのに。なぜ私たちは祝福しながらもどこか身構えてしまい、休む側は「すみません」と謝らなければならないのでしょうか。

この違和感の正体は何なのだろう、と考えてみます。

制度が整っていないからでしょうか。 決してそんなことはありません。学校現場でも条例によって「産前8週間、産後8週間」といった休暇の権利は明確に定められています。多胎妊娠なら産前14週間に広がるなど、働く人を守るルールはちゃんと存在しています。

行政の手続きや、代替の先生を探す仕組みも決まっている。

それなのに、現場にはどこか「申し訳なさ」と「しんどさ」が残ってしまう。

制度(ルール)があることと、その人が「安心して休める環境」があることは、まったく別の話だからです。

「本人が安心して休暇を取得できるように、学年や校務分担、代替の体制を早めに整える」

管理職や教頭の仕事としてよく語られる言葉です。 でも、これを「空いた穴を埋める作業」として捉えてしまうと、どうしても「誰かに負担がかかる構造」から抜け出せません。

「〇〇さんが休むから、代わりにあなたがこの仕事をやってね」

そうやって上から仕事を振り分けるだけでは、休む人も「自分がみんなに負担をかけてしまった」と罪悪感を抱えたまま職場を離れることになります。残された側も「急に仕事が増えた」と疲弊してしまうかもしれない。

制度という骨組みの中に、「安心」という体温を吹き込むには、何が必要なのでしょうか。

ひとつ思うのは、強いチームや温かい組織というのは、「誰も休まないチーム」ではないということです。

「誰がいつ休んでも、みんなでカバーできる余白のあるチーム」のことです。

自分の仕事を自分一人で抱え込まず、日頃から「今、こんなことをやっています」「ここまでは進んでいます」とオープンにしておく。一人の「属人化」を減らし、お互いの仕事の景色が少しずつ見えている状態をつくっておく。

そうやって組織の中に「余白」が生まれていると、誰かが休むことになったとき、チームの反応が変わります。

「穴が空いて困った」ではなく、 「大丈夫、そこは私たちがやっておくから、安心して行ってきて!」

と、心から言えるようになる。

「ご迷惑をおかけしてすみません」という言葉が、「任せたよ! ありがとう!」に変わる瞬間です。

「人は人の中で人となる」と言います。

一人の力ではどうにもならないときに、「助けて」と言えること。 そして周りが「お互い様だよ」と笑って背中を押せること。

そういう経験を重ねたチームは、単に仕事を分担している集団ではなく、お互いを尊重し合える本当の「仲間」になっていきます。子どもたちに「助け合おう」「失敗しても大丈夫」と教える大人自身が、そういう職場環境の中で生きているかどうか。子どもたちは、大人のその背中を驚くほどよく見ています。

今、あなたのいる職場やチームはどうでしょうか。

もし、誰かが「すみません」と言いながら休もうとしていたら。 あるいは、自分が仕事を抱え込んで余裕がなくなっていたら。

いきなり組織全体の仕組みを変えることはできなくても、今日からできる小さな一歩があります。

自分のやっている仕事を、今日ひとつだけノートに書いて隣の同僚に見せてみる。 「今、これやってるんだけど、何かあったら頼むね」と言ってみる。 そして、休みに入る誰かに「すみません」と言われたら、「謝らないで! おめでたいんだから、任せて任せて!」と笑って返してみる。

そんな小さな「余白づくり」の言葉が、誰かが安心してチャレンジし、安心して休める環境の第一歩になるのかもしれません。

あなたの周りで、いま「すみません」と抱え込んでいる人は思い浮かびますか? 明日、その人にどんな言葉をかけてみましょうか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました