「良い改革は属人的なのだろうか?」終わった後に普通の学校に戻ってしまう組織の正体

「もっと自分から動いてほしい」 「なぜこの組織は、指示待ちの人間ばかりになってしまうのだろう」

現場で指導やマネジメントをしていると、そんな壁にぶつかることは少なくありません。誰もが「主体性」や「対話」が大切だと頭では分かっていながら、組織のトップが変わった途端、それまでの空気が嘘のように消え去ってしまう。

そんな光景を目にするたび、私たちはふと疑問を抱きます。

「結局、良い改革なんてものは、カリスマ性のある個人の力に依存した『属人的』なものに過ぎないのではないか?」と。

世間で話題になった革新的な学校改革や、新しい手法を取り入れたチームづくりにおいても、「推進者が去った後に、元の普通の学校(組織)に戻ってしまった」という話を聞くたび、個人の力に頼らなければ組織は変えられないのかと落胆してしまいます。

しかし、本当にそうなのでしょうか。

「組織が変わる、そして元に戻る」という現象の裏側にあるものを深くたどっていくと、私たちが「組織」や「改革」を見る視点に、大きな思い違いが隠されていることに気づきます。

「民主主義」とは、やり方ではなく感覚である

優れたリーダーが去った後に組織が元に戻ってしまうとき、私たちは「あの人がすごかったからだ(だから属人的だ)」で片付けがちです。

しかし、本質はそこではありません。

改革と呼ばれるものの多くを紐解いていくと、中心にあったのは何か特別なテクニックや個人のカリスマではありませんでした。それは「問いかけ」です。

「君たちはどう考える?」 「どうしたい?」

組織のトップでありながら自分の意見を押し付けず、部下や生徒、保護者たちの声に耳を傾け、「それでいこう」とゴーサインを出す。命令して動かすのではなく、全員が考え、議論した結果生まれる方針を、ただ楽しみにしている姿勢です。

なぜ、こうした関わり方が人々の心を動かすのでしょうか。

その答えは、そこにいる人間が味わっている「能動感」にあります。

自分が意見を言えば、この空間に何かしらの変化が起きる。自分の声が届く、受け止められるという手応えです。

今の社会で、多くの人が会議やPTA、組織の活動を重荷に感じ、嫌がるのはなぜでしょう。それは、「何を言ってもどうせ変わらない」「上から決まったことに従うだけ」という諦めや絶望感が根底にあるからではないでしょうか。

逆に、本当に風通しの良い組織では、立場に関係なく「自分たちもこの空気をつくっている一員なのだ」という実感を、誰もが持てています。

文化を潰すのは、システムという名の「落下傘」

「それなら、なぜ改革を志した人が去った後、あの組織はすぐに変わってしまったのか」

そう問われたとき、私たちは「やはり個人の力に頼った属人化だったのだ」と結論づけたくなります。

しかし、ここに大きな見落としがあります。問題の本質は「良い改革が属人的だったこと」ではなく、「その文化を守るためのシステムや土壌が機能しなかったこと」にあります。

例えば、長野県の伊那小学校が、何十年もの間、子どもの自発性を大切にする独自の教育方針を代々の校長が変わっても守り続けているのは、「ここはこういう文化を大切にする場だ」というコンセンサスが地域や学校の中に根付いているからです。

しかし、多くの自治体や組織のシステムでは、現場の意思とは関係なく、トップが「落下傘」のように赴任してきます。その結果、これまでの文化を良く思わない、あるいは真逆の「命令・支配型」の人物がトップに据えられるリスクを防げません。

ここで皮肉な真実が見えてきます。

「良い改革」が属人的だったのではありません。むしろ、現場の文化や対話を無視してトップダウンで上から力づくで組織を元に戻そうとする「壊し屋のやり方」こそが、最も極端な「属人的な支配」なのです。

組織づくりを貫く「ボトムアップ」の哲学

この構造は、学校教育だけに留まりません。スポーツの世界や企業の組織づくりでも全く同じことが起きています。

例えば、サッカー指導において選手自身の主体的な意思決定を重んじる指導(ボトムアップ理論)や、経営の世界で「地域や社員が主役になる組織づくり」を掲げるアプローチの根っこは、すべて同じところにあります。

彼らが目指したのは、「名将の指示通りに動くロボットのような人間」を育てることではありません。「自分たちで考え、声を上げ、失敗しながらも組織を自分たちの手で創り上げていく主体者」を育てることです。

指示待ちの人間ばかりを生み出す組織は、一見すると統率が取れていて効率的に見えるかもしれません。しかし、それはリーダー一人の頭脳とエネルギーに依存しているだけであり、リーダーが代わった瞬間に崩壊する、最ももろい組織です。

本当の意味で持続可能な組織とは、個人のカリスマに頼るのではなく、「対話が生まれ、誰もが当事者になれる環境(システム)」そのものが文化として根付いている組織なのです。

明日から、自分の足元で何を変えるか

私たちは、大きな組織の仕組みや人事のシステムを明日すぐに変えることはできません。

けれど、「環境は変える。でも、環境のせいにはしない」の哲学に立ち返るなら、今日から私たちの足元でできることはあります。

目の前の子どもや選手、あるいは職場の仲間に対して、答えをすぐに与えていないでしょうか。「こうしなさい」と指示する代わりに、「あなたはどうしたい?」と問いかける余白を残せているでしょうか。

民主主義や主体性とは、大層な制度のことだけを指すのではありません。日々の何気ないコミュニケーションの中で、「あなたの意見を聞いているよ」というサインを送り合う、その小さな積み重ねの総体のことです。

トップダウンの支配は、一瞬で組織を従わせることができます。しかし、そこには「能動感」も「成長」も生まれません。

私たちが目指すべきは、人が変わりたくなる環境をつくり、そこから生まれる対話を信じ抜くことではないでしょうか。

今日、誰かに問いかけてみる

「あなたはどう思う?」と、指示する手を一度だけ止めて、相手の言葉を待つ時間を一分だけ作ってみる。その小さな一歩が、周囲の空気を変える小さな起点になります。

コメント

タイトルとURLをコピーしました