なぜ私たちは「間違い」をこれほどまでに恐れてしまうのでしょうか
なぜ、大人も子どもも、人前で間違えることをあれほどまでに恐れてしまうのでしょうか。
学校のテストや仕事の会議で、つい「正解」を無難に選んでしまい、自分の意見を引っ込めてしまった経験はないでしょうか。私たちはいつの間にか、「正しくなければならない」「失敗してはならない」という見えないプレッシャーの中で生きるようになっています。
しかし、本当に大切な学びや成長は、整えられた正解の先にあるのでしょうか。
まちがうことをおそれない教室が教えてくれたもの
絵本『教室はまちがうところだ』の原点となった詩には、次のような一節があります。
「まちがうことをおそれちゃいけない まちがったものをわらっちゃいけない まちがった意見を まちがった答えを ああじゃあないか こうじゃあないかと みんなで出しあい 言いあうなかでだ ほんとのものを見つけていくのだ」
学校のお勉強といえば、どうしても「正解か不正解か」「成功か失敗か」という結果ばかりが目立ちがちです。しかし、私たちが人生や仕事で直面する現実の課題に、最初から100点満点の正解など存在しません。
言葉を覚えたての子どもが言い間違いをしたり、挑戦する前から大人が「だから言ったでしょ」と否定したりすれば、子どもたちの「やってみたい」「話したい」という意欲は次第に削ぎ落とされてしまいます。
初めておそるおそる手を挙げたときの、あのどきりとした胸の鼓動。うまく言えなくて後から悔やむ経験。そのすべてを包み込み、「間違ってもいいんだ、そこから一緒に考えよう」と受け止めてくれる環境があってこそ、真の挑戦心が育まれます。
「失敗の価値」を組織と家庭の真ん中に置く
この「間違いを恐れない」という視点は、学校の教室だけに閉じ込めておくにはあまりにももったいない本質です。
家庭、職場、スポーツのチームなど、人が集まるあらゆる組織において、全く同じことが言えます。
失敗を責められる環境では、誰もが萎縮し、指示されたことだけをこなす受動的な集団になってしまいます。反対に、一人一人の試行錯誤や言い間違いが温かく受け止められる環境では、ボトムアップのエネルギーが自然と湧き上がります。
「人は環境によって成長する」のであり、「主体性は求めるものではなく、引き出すもの」なのです。個人を責めるのではなく、安心して挑戦できる環境をどう創るか。指導者やリーダーに問われているのは、正解を教え込むことではなく、失敗を価値に変える器を整えることではないでしょうか。
明日から少し行動を変えてみる
特別な出来事だけが成長の瞬間ではありません。日々の暮らしや仕事のなかで、誰かが小さな失敗をしたとき、あるいは自分自身が思うようにいかなかったとき、そこにこそ学びの種が眠っています。
間違いを笑うのではなく、共に知恵を絞る。
完璧さを求めるのではなく、挑戦のプロセスを面白がる。
そんな温かな眼差しを、目の前の一人に向けることから、未来の組織やチームは変わり始めていきます。
あなたの周りには、誰もが安心して失敗し、挑戦したくなる環境がありますか。
教室はまちがえるところだ
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