「主体性」という言葉だけが、一人歩きしていないか

女子サッカーの現場を見ていると、今の姿が、30年前の男子サッカー界と重なって見えることがあります。

当時、男子サッカーの現場は、ほとんどが学校部活動でした。地域クラブはまだ少なく、指導の基準も今ほど整理されていませんでした。指導者によって教え方は大きく違い、「良い指導」とは何かも曖昧だった時代です。

しかし、そこから30年。

Jリーグが地域に根づき、クラブ文化が育ち、指導者ライセンス制度も整備されました。今では、多くの指導者が一定水準の技術指導を学び、戦術理解も共有される時代になっています。

けれども。

技術や戦術の共有は進んだ一方で、「選手主体」という部分は、本当に進化したのだろうか。

そこに、私は大きな問いを感じています。

20年ほど前、全国高校サッカーで大きな衝撃を与えたチームがありました。

広島観音高校です。

当時、畑喜美夫先生が取り入れた「ボトムアップ理論」は、単なる戦術論ではありませんでした。

選手主体の組織づくり。

選手が考え、選手が決め、選手が責任を持つ文化づくり。

それは、サッカーの形を変えるというより、「チームとは何か」を問い直す取り組みだったように思います。

ですが今、「ボトムアップ」と聞くと、

「整理整頓のことですよね」
「自主性を育てるやつですよね」

そんな程度の理解で止まってしまっている場面を多く感じます。

本来、「主体性」とはもっと深いもののはずです。

主体とは、
“自分で判断し、自分で責任を持ち、自分で改善しようとする存在”
になること。

つまり、「言われたからやる」から抜け出し、
「自分たちで課題を発見し、解決へ向かう」
ところまで行って初めて、“主体”になっていくのだと思います。

しかし現実はどうでしょうか。

先日のガールズゲーム東海で、27チームを見ました。

試合。
ミーティング。
アップ。
ハーフタイム。
試合後の振り返り。

様々な場面を見て感じたのは、「自主的」なチームはあっても、「主体的」なチームはほとんど存在しなかった、ということでした。

多くのチームでは、指導者がホワイトボードを持ち、マグネットを動かしながら、

「次はこうしろ」
「あそこへ立て」
「もっとこう動け」

と指示を出していました。

もちろん、それが悪いわけではありません。

ですが、その風景の中心にいるのは、常に“指導者”です。

選手は、指導者の考えを実行する「駒」になってしまいやすい。

そんな中、優勝チームだけが、少し違って見えました。

そこにあったのは、
“子どもたちが作ったホワイトボード”
でした。

そこには、選手たち自身の言葉が並んでいました。

「今日やること」
「前の試合でできなかったこと」
「改善したいこと」
「みんなで意識すること」

それを見ながら、選手たちが自分たちで確認し合い、試合へ向かっていく。

ハーフタイムでも、おそらくそのホワイトボードは活用されていたのでしょう。

実際、そのチームは後半に強かった。

私はそこに、
PDCAサイクルやOODAループが、“選手の中で動き始めている姿”
を見た気がしました。

つまり、

「やらされるサッカー」ではなく、
「自分たちで改善するサッカー」

になっていたのです。

ここで、一度立ち止まって考えてみてほしいのです。

もし、あなたがチームを持っているなら。

あなたのチームの練習は、どんな始まり方をしていますか?

子どもたちは、自分たちで集まり、
「今日は何を改善するか」
を話していますか?

前の試合で出た課題を、自分たちで共有していますか?

「今日はパスを意識しよう」
「前回できなかった切り替えを改善しよう」

そんな声が、選手たちから自然に出ていますか?

もし、

「前回こういう問題があった。だから今日はそこを改善したい。コーチ、そのための練習を教えてください」

という流れになっているなら、主体はまだ“子ども側”にあると思います。

しかし、

「今日はこれをやるぞ」
「次はこれだ」
「こうしろ」

と、常に大人が先導しているなら。

そのチームは、“主体的”というより、“管理型”になっているのかもしれません。

もちろん、最初から全部を子どもに任せればいい、という話ではありません。

ただ、
「主体性を育てたい」
と言いながら、

スタートも、
振り返りも、
改善も、
決定も、

全部大人がやってしまっていないか。

そこは、今一度問い直す必要があると思っています。

今、日本サッカー界では、
森保一監督を中心に、「選手主体」という言葉が語られる機会が増えています。

ですが、本当に大切なのは、“言葉”ではなく、“哲学”です。

なぜ選手主体なのか。

なぜ自分たちで考えさせるのか。

なぜ失敗させるのか。

なぜ待つのか。

その哲学が現場に落ちていかなければ、「主体性」という言葉だけが一人歩きしてしまう。

そして結局、
「自由にやらせたけど崩壊した」
「主体性って難しいよね」
で終わってしまう。

だからこそ今必要なのは、
“主体性を育てる手立て”
を共有することだと思います。

優勝チームのホワイトボードは、その小さなヒントだったように思います。

主体性は、突然生まれません。

毎日の問いかけ。
毎日の振り返り。
毎日の改善。

その積み重ねの中でしか育たない。

女子サッカーは、今まさに大きな転換点にいるのかもしれません。

だからこそ、「勝たせ方」だけではなく、

“どう育てるか”
“どんな人間を育てるか”

そこに、もっと光が当たってほしいと思っています。

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