現行の学習指導要領では、
* 主体的・対話的で深い学び
* 個別最適な学び
* 協働的な学び
といった言葉が並ぶようになった。
つまり国としても、
「ただ教えるだけではなく、子どもが自ら学ぶ環境をつくること」
へと、大きく舵を切っている。
これは間違いなく、教育観の転換だと思う。
しかし。
現場は本当にそこまで変わっただろうか?
例えば教室。
今も多くの教室では、
全員が前を向き、
教師だけを見る形で、
授業が行われている。
その中で、
「主体的に」
「対話的に」
「協働的に」
と言われる。
もちろん工夫している先生方はたくさんいる。
ICTを活用したり、
グループ活動を取り入れたり、
振り返りを書かせたり。
でも私は時々思う。
そもそも、その教室は、
“対話が生まれる環境”になっているのだろうか?
例えば、
隣の子の顔も見えない。
話しかけにくい。
振り向くと怒られる。
静かに前を向くことが“良い子”。
そんな空間で、
「主体的に話し合いましょう」
と言われても、
実はかなり難しい。
子どもが悪いわけではない。
環境が、
まだ“一斉授業型”のままなのだ。
実際、学校という場所は長い間、
* 管理しやすい
* 静かにさせやすい
* 一斉指導しやすい
* 教師が見渡しやすい
ことを前提に作られてきた。
つまり今の教室配置そのものが、
「先生が教える」ための構造なのである。
だから理念だけ、
「主体的・対話的」
に変わっても、
空間が変わらなければ、
結局は元の授業に戻っていく。
そして厄介なのは、
環境は“当たり前”すぎて見えないことだ。
授業技術は研究する。
発問も研究する。
ICTも研究する。
しかし、
「机配置を変える」
「空気感を変える」
「子ども同士の距離感を変える」
という発想には、
意外とたどり着かない。
なぜなら、
教室の形は昔からそうだったから。
でも本当に考えなければいけないのは、
「何を学ぶか」
の前に、
「どこで学ぶのか」
ではないだろうか。
安心して話せる空間か。
挑戦しても笑われない空気か。
失敗しても大丈夫と思える関係か。
周りの子と自然につながれる配置か。
学びは、
内容だけで起きるわけではない。
環境によって、
大きく左右される。
私は今、
教育改革の理想と現実のギャップは、
“言葉だけが先走っている”
ことにあるのではないかと思っている。
主体的。
対話的。
協働的。
その言葉は広がった。
しかし、
その土台となる「環境」は、
まだあまり変わっていない。
だからこそ今、
必要なのは、
新しい技術だけではなく、
教室そのものを見直す視点なのかもしれない。

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