なぜ、同じように授業を受けて、同じような時間を過ごしているのに。 自分の頭でしっかり考えられる子と、指示を待ってしまう子が生まれるのでしょうか。
私たちはいつの間にか、「言われたことをきちんとやれる子」をいい子として褒めてきました。
でも、それって本当に主体性が育っていると言えるのでしょうか。
今日は、学校教育の現場から見えてきた、自主性と主体性の本当の違いについてお話しします。 そして、大人が子どもに手渡すべき本質的な問いを一緒に考えていきたいと思います。
指示通りに動くことは、本当に主体性ですか
教室でよくこんな光景に出会います。
「先生に言われなくても、自分から率先して朝の準備ができているね。」
もちろん素晴らしいことです。 でも、ちょっとだけ立ち止まってみてほしいのです。
その子は本当に自分で考えて動いているのでしょうか。 それとも、大人の期待通りに動くことが習慣になっているだけなのでしょうか。
ここで、二つの言葉を整理してみたいと思います。
自主性とは、「どうやるか」を考える力、つまりやり方の工夫です。 一方で主体性とは、「何のためか」を問い続ける力、つまり目的の追求そのものです。
部活動の朝練を例に出してみましょう。
顧問の先生に言われた通り、毎日30分前に来てテキパキと準備をする。 これは立派な自主性です。 ただ、行動の軸にあるのは、誰かが作ったルールですよね。
では、自分たちがチームに本当に貢献するために、今何が必要だろうと仲間と話し合い、自らやるべきことを見出す姿はどうでしょう。 これが主体性です。
大きな違いは、やるべきことを決めているのが自分の外側にあるか、それとも内側にあるかなんです。
手段が目的になってしまう危うさ
私がこれまで学校現場で一番苦労したのは、手段が目的になってしまう状態を解きほぐすことでした。
宿題を出すこと。 テストで点を取ること。 校則をきっちり守ること。
これらはすべて、本来は子どもたちの成長という目的のための手段にすぎません。
それなのに、いつの間にか宿題を終わらせることや、校則を破らないこと自体が目的になってしまう。
何のためにこれをやっているんだっけ。
この問いを忘れてしまったとき、子どもたちはただの指示待ち人間になってしまいます。 大人が用意したレールの上をどれだけ上手に走っても、それは自分の人生を生きていることにはならないんです。
社会に出てから、主体性を持って動いてほしいと言われて戸惑ってしまう若者が多いのは、もしかしたら私たちが学校という場所で、正解をいかに素早くこなすかばかりを教えてきたからなのかもしれません。
大人ができる、たった一つの関わりこと
では、子どもたちの内側から湧き出る主体性を育むために、大人はどう関わればいいのでしょうか。
それは、答えを教えることではなく、問いを手渡すことです。
これをやりなさい、ではありません。 それって、何のためにやるんだっけと優しく聞いてみる。
どうすればうまくできるかの前に、そもそも僕たちは何を目指しているんだっけと立ち止まってみる。
子どもが自分で考え、自分なりの返事を創り出すための余白を、どれだけ作ってあげられるか。 大人の役割は、正解へ導く道案内ではなく、一緒に迷い、考える伴走者であることなのだと思います。
明日から、どんな問いを投げかけますか
学校を変えることは、決して大掛かりな制度改革から始まるわけではありません。 日々の教室の空気感や、家庭での何気ない会話の積み重ねからしか変わらないんです。
ルールで縛るのを少しだけやめて、どう思う?と聞いてみる。 指示を出す前に、何のためだと思う?とあたたかく待ってみる。
そんな小さな日常の選択が、子どもの心にそっと火を灯し、自分の足で歩み出す力を育てていきます。
あなたの周りには今、子どもたちが自分の頭で何のためかを考えられる環境がありますか。

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