「もっと主体的に学んでほしい」
「もっと友達と対話してほしい」
「自分から発言してほしい」
学校では、こうした願いを子どもたちに伝えることがあります。
でも、ふと考えてみると、少し不思議です。
子どもたちに「主体の意識を持とう」と伝える一方で、教室の環境は昔からほとんど変わっていない。
教師が前に立ち、子どもたちは黒板を向いて、一列に並んで座る。
もちろん、一斉前向きの授業が必要な場面もあります。
だから、「一斉前向きが悪い」という話ではありません。
私が考えたいのは、
「私たちは、何もしなかったときに、どんな行動が自然に起こる環境をつくっているのか」
ということです。
人は「初期設定」に影響される
行動経済学には「デフォルト効果」という考え方があります。
デフォルトとは、何も変更しなければ最初から選択されている「初期設定」のことです。
人は、自分で改めて選択し直さなくても、その初期設定をそのまま受け入れやすい。
そのことを非常に分かりやすく示しているのが、臓器提供に関するデータです。
このグラフでは、オーストリア、ベルギー、フランス、ハンガリー、ポーランド、ポルトガル、スウェーデンなどの臓器提供に関する同意率が比較されています。
表示されている数値を見ると、
* オーストリア:99.98%
* ベルギー:98%
* フランス:99.91%
* ハンガリー:99.97%
* ポーランド:99.5%
* ポルトガル:99.64%
* スウェーデン:85.9%
となっており、特に多くの「オプトアウト型(推定同意)」の国で非常に高い同意率が示されています。
一方で、デンマークやオランダなどの「オプトイン型(積極的同意)」の国では同意率が低くなっています。
これは、JohnsonとGoldsteinによる「デフォルトが選択に与える影響」を広く知らしめた研究で紹介されたデータです。
ここで重要なのは、
「人々の考え方が大きく違うから、この差が生まれている」と単純に考えるのではなく、「最初からどちらを選択した状態になっているか」が行動に影響している可能性がある
という点です。
もちろん、国によって制度や文化、社会的背景などが異なるため、このグラフだけで「デフォルトだけが原因だ」と断定することはできません。
それでも、
「初期設定は、人間の選択や行動に大きな影響を与え得る」
ということを考えるきっかけにはなります。
そして、私はこの考え方を学校に置き換えてみたいと思っています。
教室にも「デフォルト」がある
例えば、教室です。
一斉前向きの座席をデフォルトにすると、何もしなければ、
「先生を見る」
「先生の話を聞く」
「自分の席で待つ」
という行動が自然に生まれます。
もちろん、子どもが主体的に学ぶこともできます。
しかし、環境そのものは、基本的に「教師から子どもへ」という一方向の関係をつくりやすい構造になっています。
一方、コの字型にしてみる。
すると、子ども同士の顔が見える。
友達の表情が見える。
誰かが発言したとき、その反応が見える。
教師だけではなく、子ども同士の関係が視界に入るようになります。
さらにグループ型にすれば、ちょっとした疑問を隣の友達に聞くことも容易になります。
わざわざ身体をねじる必要もありません。
席を移動する必要もありません。
つまり、
「話そう」と意識する前に、話しやすい環境ができる。
ここに、教室のデフォルトを変える意味があります。
「主体的になりなさい」から「主体的に動きやすい環境」へ
学校では、
「もっと主体的に」
「もっと対話を」
「自分から動こう」
と、子どもの意識を変えようとすることがあります。
もちろん、それも大切です。
でも、それだけではありません。
例えば、
「もっと先生方で相談してください」
と言いながら、相談する時間も場所もない。
「子どもたちで話し合って決めよう」
と言いながら、最終的には教師がすべて決める。
「主体的に学ぼう」
と言いながら、座席も授業の進め方も教師がすべて決める。
これでは、言葉と環境が一致していません。
だからこそ、
「何を言うか」だけではなく、「何もしなかったときに、どんな行動が起こる環境なのか」を考える。
ことが大切なのだと思います。
「座席を変える」は、模様替えではない
私は、コの字型やグループ型への変更を、単なる座席配置の工夫だとは考えていません。
それは、
教室のデフォルトを変えること
です。
一斉前向きがデフォルトなら、
「教師 → 子ども」
という関係が生まれやすい。
コの字型なら、
「教師 ↔ 子ども」
だけではなく、
「子ども ↔ 子ども」
という関係が生まれやすい。
グループ型なら、
「一人で考える」→「隣に聞く」→「みんなで考える」
という行動へのハードルを下げることができます。
もちろん、座席を変えただけで、突然すべての子どもが主体的になるわけではありません。
授業の設計も必要です。
教師の問いも必要です。
安心して発言できる人間関係も必要です。
だからこそ、座席配置は「万能薬」ではありません。
しかし、子どもの行動を支える環境の一部を意図的にデザインすることには意味があります。
学校経営にも「デフォルト」という視点を
そして、この考え方は教室だけではありません。
学校経営にも、そのまま当てはめることができます。
「先生方にもっと主体的に動いてほしい」
ならば、
会議の進め方を変える。
情報共有の仕組みを変える。
相談しやすい場をつくる。
意思決定のプロセスを変える。
「子どもを主語にした学校にしたい」
ならば、
子どもが意見を言える仕組みをつくる。
子どもが選択できる場面を増やす。
子どもの声が学校運営に反映される仕組みをつくる。
つまり、
人を変えようとする前に、環境や仕組みを変える。
ということです。
「意識改革」より先に「環境改革」
これは、私自身が学校づくりを考える上で大切にしたい視点です。
「もっと主ätterになろう」
と呼びかける。
もちろん、それも必要です。
でも、その前に、
「主体的に動きたくなる環境になっているだろうか?」
と問い直してみる。
「もっと話しなさい」
と言う前に、
「話しやすい座席になっているだろうか?」
と考えてみる。
「もっと協働してほしい」
と言う前に、
「協働が自然に起こる仕組みになっているだろうか?」
と考えてみる。
教育は、言葉で人を動かすことだけではありません。
人が自然に動きたくなる環境をデザインすることも、教育の仕事です。
「子どもを変える」のではなく、「デフォルトを変える」
一斉前向きが悪いわけではありません。
コの字型が正解というわけでもありません。
大切なのは、
「この環境では、何もしなかったときに、どんな行動が生まれるのか」
という視点です。
人は環境に影響されます。
だからこそ、
「もっと主体的に」
と言い続けるだけではなく、
主体的に動きやすい環境を先につくる。
「もっと対話を」
と言うだけではなく、
対話が自然に生まれやすい空間をつくる。
「もっと協働を」
と言うだけではなく、
協働がデフォルトになる仕組みをつくる。
教室の座席を変えることは、小さな一歩です。
でも、その背景にあるのは、
「人を変えるのではなく、行動を生み出す環境を変える」
という学校づくりの考え方です。
そして、その視点を教室から学年へ、学年から学校全体へ広げていく。
「主体的な子どもを育てる学校」から、
「子どもが主体的に動きたくなる学校」へ。
そのために、まず変えるべきものは、子どもの意識ではなく、私たちが当たり前だと思っている「初期設定」なのかもしれません。
「子どもを変える」のではなく、「デフォルト」を変える ― 臓器提供から教室の座席まで。人は「初期設定」に影響される ―
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