「例えば?」と聞かれて言葉に詰まるとき、僕たちの頭の中で起きていること

「もっと主体性を持とう」

「お互いを尊重し合えるチームにしよう」

「子どもたちの自主性を育てる授業をめざそう」

職員室の会議でも、グラウンドのミーティングでも、あるいは家庭での子育ての話題でも、こうした「正しくて綺麗な言葉」はよく飛び交います。

誰もが反論できない、素敵な目標です。

でも、もしその場で、

「それって、具体的にはどういうことですか? 例えばどんな姿ですか?」

と誰かが静かに尋ねたとしたら、どうでしょうか。

一瞬、その場の空気が止まる。

「ええと…つまり、自分から考えて動くということで…」と、結局同じ抽象的な言葉を言い換えて終わってしまう。そんな場面に出くわしたことはないでしょうか。あるいは、自分自身がそう聞かれて、胸がヒヤッとした経験はないでしょうか。

■ なぜ、僕たちは具体例を出せなくなってしまうのか

言葉は知っている。理想も共感できる。

なのに「例えば?」と訊かれた途端に、言葉が詰まってしまう。

これは、頭の回転が遅いからでも、伝える技術が足りないからでもありません。

その言葉がまだ、自分の「手足」になっていないからです。

どこかの本で読んだフレーズ、研修で聞いた素晴らしいスローガン。その「言葉のパッケージ」だけを脳の中に置いていて、自分自身の目で見たこと、耳で聞いたこと、肌で感じた「現場の事実」と結びついていないとき、僕たちの「例えば」は消えてしまいます。

■ 10個の「例えば」が持つ体温

本当にその言葉を大切にして、現場で子どもや人と格闘している人の頭の中には、驚くほどの数の「具体」が詰まっています。

例えば、サッカーの現場で「選手主体」を大切にしている指導者がいるとします。

その人に「選手主体って、例えばどういうことですか?」と尋ねたら、教本の定義ではなく、目の前で起きた出来事が溢れ出すはずです。

・ベンチの荷物が、指示される前に美しく整えられている瞬間

・作戦タイムで、大人が喋る前に選手同士で輪になって課題を話し合っている姿

・ミスをした仲間に、攻めるのではなく「次どうする?」と問いかける声

・練習の合間に「今のプレー、もう一回やらせてください」と選手から言ってくる眼差し

・出番のない選手が、チームのために全力でタイムを測り、声を張っている立ち姿

10個の具体例があるからこそ、その言葉には「体温」が宿ります。

逆に言えば、10個の「例えば」が即座に出てこない主張は、自分の足で歩いて掴み取った言葉ではなく、空中に浮いた「借り物の言葉」なのかもしれません。

■ 抽象的な言葉で、分かった気にならないために

僕たちはついつい、立派な言葉で語りたくなります。

子どもに「思いやりを持とう」と言ったり、職場で「当事者意識を持とう」と呼びかけたり。

でも、大切なのは大きな言葉を掲げることではなく、どれだけ目の前の具体を見つめているかです。

誰かを批判するためではなく、自分自身の言葉を育てるために、一度自分に問いかけてみたくなる瞬間があります。

「今日、自分が口にしたあの言葉。具体的に10個、思い浮かべられるだろうか?」と。

もし、2つか3つしか出てこなかったとしたら。

それは落ち込むことではなく、これから始まる「探究」の合図です。明日から、子どもたちの表情、会話の間、ふとした仕草を、もっと解像度高く見つめればいいだけのことだからです。

■ 今日の現場から、ひとつ目の「例えば」を集める

言葉を無理に立派にする必要はありません。

ただ、あなたの目の前にいる子どもや選手の、今日の小さな変化。

「あ、今の行動って、こういうことかもしれない」

そう気づいた瞬間が、あなたにとっての「1つの例えば」になります。

明日、あなたが誰かに伝えたい言葉には、いくつ「例えば」が詰まっているでしょうか。

もしこの記事を読んで、「あの人が大切にしている言葉の『具体』って何だろう」と思い浮かぶ誰かがいたら、温かいお茶でも飲みながら、その「例えば」を尋ねてみてください。きっと、思いがけない素敵な景色が見えてくるはずです。

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