
「デフォルトシフト理論」という新しい視点
人を変えるには、どうすればよいのでしょうか。
もっと主体的に行動してほしい。自分から考えてほしい。積極的に発言してほしい。周囲と協力してほしい。
学校でも、職場でも、スポーツの現場でも、私たちは人にさまざまな変化を求めます。そのために声をかけ、指導し、研修を行い、意識を高めようとします。
もちろん、本人の意識や努力が重要であることは間違いありません。
しかし、ここで一つ考えてみたいことがあります。
私たちは、人に変化を求める一方で、その人が日々過ごしている環境や仕組みを、どれほど見直しているでしょうか。
例えば、授業中に子どもたちがなかなか発言しないとします。そのとき、「もっと積極的に発言しよう」と声をかけることはできます。
しかし、発言する機会が限られていたり、間違えることに不安を感じたり、周囲と考えを共有する仕組みがなかったりすれば、声かけだけで行動を変えることには限界があります。
職場でも同じです。
主体性を求めながら、仕事の進め方や役割、意思決定の仕組みが指示を待つことを前提につくられていたらどうでしょうか。
協力を求めながら、個人ごとの成果だけが評価される仕組みになっていたらどうでしょうか。
人に求めている行動と、その行動が生まれる環境が一致していない可能性があります。
そこで、私は一つの考え方を提案したいと思います。
それが、「デフォルトシフト理論」です。
1.そもそも、人の行動をつくっているものは何か
私たちは、普段、自分の行動を自分自身の意思で決めていると考えています。
もちろん、それは間違いではありません。
しかし、実際には、私たちの行動は、その場にある環境や仕組み、周囲との関係、役割、ルール、習慣などからも影響を受けています。
例えば、教室の座席配置が変われば、子ども同士の関わり方が変わるかもしれません。
会議の進め方が変われば、発言する人が変わるかもしれません。
チームの練習方法が変われば、選手同士の声のかけ方や情報共有の仕方が変わるかもしれません。
つまり、人は自分の意思だけで行動しているのではなく、自分が置かれている環境の中で、行動の仕方を選び、経験しているとも考えられます。
ここで注目したいのが「デフォルト」です。
2.デフォルトとは何か
デフォルトとは、特定の場面において、人が特別な指示や選択をしなくても、通常のものとして受け入れられ、行動の前提となっている環境や仕組みのことです。
例えば、次のようなものが挙げられます。
- 教室の座席配置や授業の進め方
- 会議の進行方法や発言の順番
- 組織内の役割分担や意思決定の仕組み
- スポーツチームの日常的な練習方法
- 集団の中で当たり前になっている習慣や関係性
ここでいうデフォルトは、単なる機器の初期設定や選択肢の初期値だけを意味するものではありません。
人が日常的に置かれている環境、制度、ルール、役割、習慣、関係性など、行動の前提となっているものを広く捉えています。
重要なのは、こうしたものが、私たちにとって当たり前になりすぎていることです。
例えば、授業中に先生が説明し、子どもが聞くという形式が当たり前になっていれば、子どもが自分の考えを発信する機会は限られるかもしれません。
職場で上司が判断し、部下が実行するという関係が当たり前になっていれば、自分で考えて行動する機会は生まれにくいかもしれません。
私たちは、今ある環境や仕組みを疑うことなく、その中で人の行動だけを変えようとしていることがあるのです。
3.デフォルトシフト理論とは何か
私が提案するデフォルトシフト理論とは、次のような考え方です。
人の意識や努力に変化を求めるだけでなく、望ましい行動が生まれやすく、繰り返されやすい状態をつくるために、環境・仕組み・役割・ルール・習慣・関係性などの初期設定を再設計し、個人の行動と集団のあり方の変化を目指す考え方である。
ここで大切なのは、「人を変える」のではなく、「人の行動が生まれる条件を変える」という視点です。
例えば、子どもたちに協力することの大切さを何度も伝えるだけでなく、日常の授業の中に、互いの考えを聞き、知識を持ち寄り、一緒に課題を解決する機会を組み込む。
職場で主体性を求めるだけでなく、自分で判断できる範囲や役割を明確にし、提案や意思決定に参加できる仕組みを整える。
スポーツチームで声を出すことを求めるだけでなく、選手同士が自然に情報を共有し、互いに判断を支え合う練習環境をつくる。
こうした取り組みは、単に人に行動を促すこととは異なります。
望ましい行動が生まれる機会や条件を、日常の仕組みそのものに組み込んでいくことです。
4.既存の理論と何が違うのか
ここで、一つ整理しておきたいことがあります。
人の行動と環境の関係については、すでにさまざまな研究や理論があります。
例えば、行動経済学の「ナッジ理論」は、選択する環境を工夫することで、人の行動を望ましい方向に促す考え方です。
また、「選択アーキテクチャ」は、人が選択する際の環境や選択肢の提示方法を設計する考え方です。
そのほかにも、環境による行動変容、組織デザイン、組織開発など、人と環境の関係を扱う研究領域は数多く存在します。
デフォルトシフト理論も、こうした既存の研究や知見と無関係に生まれたものではありません。
むしろ、それらの知見を土台にしながら、私自身が新たな視点として提案したい考え方です。
では、何が特徴なのでしょうか。
私が特に大切にしたいのは、次の3つです。
① 行動だけでなく、「当たり前」そのものを問い直す
ナッジなどでは、選択肢の提示方法や選びやすさなどに注目することがあります。
一方、デフォルトシフト理論では、もう一歩踏み込んで考えます。
そもそも、なぜ今の授業方法が当たり前なのか。
なぜ会議では上司から話すことになっているのか。
なぜスポーツの練習では、指導者が指示を出し、選手がそれに従うことが前提になっているのか。
今ある仕組みを改善するだけでなく、その仕組みが当たり前になっていること自体を問い直す。
ここに、一つ目の特徴があります。
② 一人の選択ではなく、集団の行動や文化まで視野に入れる
人の行動を変えることは、一人の行動を変えることだけではありません。
学校であれば、子ども同士の関係や学級の雰囲気が変わること。
スポーツであれば、選手同士の関わり方やチームの文化が変わること。
職場であれば、個人の働き方だけでなく、組織全体の意思決定や協力の仕方が変わること。
デフォルトシフト理論では、個人の行動と集団のあり方を切り離さずに捉えます。
環境を変えることで、個人の行動が変わり、その積み重ねが集団の習慣や文化に影響していく。
こうした変化のつながりを重視します。
③ 環境を変えて終わりではなく、新しい当たり前をつくる
環境を一度変えれば、それで終わりというわけではありません。
実際にどのような行動が生まれたのか。
その行動は継続しているのか。
一部の人だけに負担がかかっていないか。
新しい仕組みが、期待した効果につながっているのか。
こうしたことを観察し、必要に応じて仕組みを見直していきます。
つまり、デフォルトシフト理論が目指すのは、単なる環境の変更ではありません。
望ましい行動が日常の中で繰り返され、それが新しい当たり前になっていくことです。
この3つを組み合わせているところに、私が提案するデフォルトシフト理論の独自性を持たせたいと考えています。
5.デフォルトを変えると、何が変わるのか
ここで、学校・スポーツ・職場の具体例を考えてみます。
学校の場合
子どもたちに、もっと主体的に学んでほしい。
そう考えたとき、これまでは「自分から考えよう」「積極的に発言しよう」と声をかけることが中心だったかもしれません。
しかし、授業の進め方を見直し、子ども同士が考えを共有したり、互いに説明したり、一緒に課題を解決したりする時間を日常的に組み込んだらどうでしょうか。
主体性を求めるだけでなく、主体的に学ぶ経験が生まれる環境をつくるのです。
スポーツの場合
選手に、もっと自分たちで考えてプレーしてほしい。
そう考えたとき、単に「自分で判断しよう」と伝えるだけでは十分ではないかもしれません。
練習の中に選手同士で状況を判断し、声をかけ合い、解決策を考える場面を組み込む。
指導者がすべてを判断するのではなく、選手が判断する機会を増やす。
すると、選手同士の関係やチームのコミュニケーションのあり方にも変化が生まれる可能性があります。
職場の場合
社員に、もっと主体的に仕事をしてほしい。
そう考えたとき、研修や意識改革だけでなく、仕事の進め方そのものを見直してみます。
自分で判断できる範囲を広げる。意見を出す機会をつくる。チームで成果を共有する仕組みにする。
主体性を求めるだけでなく、主体性を発揮できる環境を整えるのです。
これらの例に共通しているのは、求める行動を、個人の努力だけに委ねず、日常の仕組みの中に位置づけていることです。
6.デフォルトを変えれば、必ず人は変わるのか
ここで誤解してほしくないことがあります。
デフォルトシフト理論は、環境を変えれば必ず人が変わると主張するものではありません。
同じ環境を用意しても、すべての人が同じ行動をするわけではありません。
新しい仕組みが、かえって負担になる人もいるでしょう。行動するための知識や技能、安心感、本人の選択の余地が不足していれば、期待した変化につながらないこともあります。
また、環境を整えただけで、本人の意識や努力が必要なくなるわけでもありません。
だからこそ、環境を変えた後には、実際にどのような行動が生まれたのかを観察し、必要に応じて見直すことが欠かせません。
デフォルトを変えることは、人を仕組みにはめ込むことではありません。
一人ひとりの違いを踏まえながら、望ましい行動が生まれる可能性を広げることです。
7.デフォルトシフト理論を実践するための3つの視点
この考え方を実際の教育や組織づくりに活用するなら、次の3つの段階で考えることができます。
STEP 1 今のデフォルトを発見する
今の環境や仕組みは、どのような行動を生み出しているのか。
何が当たり前になっているのか。
望ましい行動が生まれにくくなっている原因は何なのか。
まずは、人ではなく、その人が置かれている環境や仕組みに目を向けます。
STEP 2 デフォルトを再設計する
望ましい行動が生まれやすくなるように、環境、仕組み、役割、ルール、習慣、関係性を見直します。
特別な努力をしなくても、その行動を経験できる機会を日常の中につくります。
STEP 3 新しいデフォルトを検証・更新する
実際にどのような行動が生まれたのかを確かめます。
その変化は継続しているのか。集団の関係性に変化はあるのか。新しい課題は生まれていないか。
結果を踏まえて、さらに環境や仕組みを見直していきます。
この繰り返しによって、新しい当たり前を育てていくことを目指します。
8.人を変えようとする前に、当たり前を見直す
私たちは、これまで人の意識や努力に多くの期待を寄せてきました。
それ自体を否定する必要はありません。
ただ、人に変化を求めるだけでは、変化が長続きしないことがあります。
本人が努力し続けなければ維持できない行動は、環境や状況が変わると元に戻ってしまう可能性もあります。
一方、望ましい行動が日常の仕組みの中に位置づけられれば、特別な努力をしなくても、その行動を経験する機会が生まれます。
そして、その経験が繰り返されることで、習慣や集団の規範へとつながっていく可能性があります。
もちろん、そこには時間も支援も必要です。環境を整えるだけで完結するわけではありません。
それでも、私たちには、これまでとは違う問いを持つことができるはずです。
「どうすれば、この人の意識を変えられるだろうか」
だけでなく、
「今の環境は、本当に望ましい行動が生まれやすい状態になっているだろうか」
「そもそも、今の当たり前を変えることはできないだろうか」
「どうすれば、望ましい行動が特別な努力ではなく、日常の中で自然に繰り返されるようになるだろうか」
と考えてみる。
人の可能性を、今の姿や今の環境だけで決めつけない。
人に変化を求める前に、変化が生まれる条件を見直してみる。
人を変えようとする前に、当たり前を変えてみる。
それが、私が「デフォルトシフト理論」を通して提案したい、新しい視点です。
この理論は、既存の行動科学や組織論の知見を土台にしながら、人と環境の関係を改めて捉え直そうとする独自の提案です。
まだ完成された理論ではありません。
だからこそ、学校、スポーツ、組織、そして社会のさまざまな場面で実践し、その可能性や限界を確かめながら、少しずつ体系化していきたいと考えています。
人を変えることだけに目を向けるのではなく、人が変わる可能性を持った環境をつくる。
私たちが当たり前だと思っているものを見直すことから、新しい変化が始まるのかもしれません。

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