少しだけ、隣の人を思い浮かべてみてください。
もし今、あなたの隣に誰か同僚がいるなら、ぜひ聞いてみてください。
「あなたの教室の机配置って、何を前提にしてる?」
そして、その問いについて30秒だけ話してみてください。
……。
どうでしょう。
おそらく多くの人が、
「いや、昔からこうだから」
「管理しやすいから」
「前を向いていた方が落ち着くから」
そんな話になったのではないでしょうか。
では、もう一度問いかけます。
「主体的・対話的で深い学びを目指しているのに、その教室配置、本当に合ってる?」
ぜひ、今度は相手の話を否定せず、三回やり取りを重ねてみてください。
「なるほど」
「それってどういうこと?」
「子ども側から見るとどうなんだろう?」
すると、少しずつ見えてくることがあります。
実は私たちは、
“授業の中身”は変えようとしているのに、
“授業の前提”はほとんど変えていないということです。
主体的・対話的で深い学び。
その言葉を掲げながら、
教室に入ると、
全員が前を向き、
教師が前に立ち、
発言は教師を介し、
正解は前方から与えられる。
この空間で、
「主体的に」
「対話的に」
と言われても、
子どもたちは身体感覚として、
「ここは“聞く場所”なんだな」
と理解します。
つまり、
環境が先にメッセージを出しているのです。
ここで、もう一度問いかけてみてください。
「子どもたちは、“学ぶ人”として座っているのか。それとも、“管理される人”として座っているのか。」
……どうでしょうか。
実は、授業技術を変えるのは簡単ではありません。
発問。
教材研究。
単元構想。
評価。
ファシリテーション。
どれも時間がかかる。
でも、机配置は0.2秒で変えられる。
今日、今、この瞬間に。
なのに、そこは変えない。
私はそこに、日本の教育改革の限界があるように思っています。
もちろん、机を動かしただけで教育が変わるわけではありません。
でも逆もまた真実です。
環境が変わらなければ、
学びも変わらない。
人は、安心できる場所でこそ考え始めます。
顔が見える。
うなずきが返る。
孤立しない。
「わからない」と言える。
そういう空間で、
脳は防御ではなく、探究を始める。
最近では、オキシトシンなどの脳科学の視点からも、
「安心感」が思考や挑戦を支えていると言われています。
だから本来、
主体的・対話的で深い学びを目指すなら、
“話し合いの時だけグループ”
ではなく、
“対話が起きることを前提に空間を設計する”
べきなのだと思うのです。
最後に、もし可能なら、
近くの先生とこんな対話をしてみてください。
「今の教室配置って、“子どもを信じている配置”になってるかな?」
そして、その相手の考えを、
別の先生に説明してみてください。
人は、
“自分の考え”より、
“誰かの考えを説明しようとした時”
に深く考え始めます。
もしかしたら、
主体的・対話的で深い学びとは、
そういうことなのかもしれません。
私はいつか、
「教室は前向き一斉が当たり前」
という時代が終わると思っています。
その時に、
「ああ、そんなことをずっと言っていた人がいたな」
と、誰かが思い出してくれたら嬉しいです。

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