子どものせいにしない ― たった一言で、教員人生は変わる ―

「子どものせいにしない」

この言葉は、自分が初任から5年目のときに出会った主任の先生から、いただいた言葉です。

今振り返ると、4年目までの自分は、教師だったとは到底言えません。

いや、“教員”ではあったかもしれないけれど、教師ではなかった。

そう思っています。

今ならはっきり分かります。

子どもがうまく動かなかったとき、話を聞かなかったとき、荒れたとき、ぶつかったとき、できなかったとき。

心のどこかで自分は、こう思っていました。

「なんでできないんだ」
「なんで分からないんだ」
「ちゃんとやれよ」

言葉にしていなかったとしても心の中では、確かにそう思っていた。

でも、それって結局、

「できないのは、お前のせいだ」

と、子どもに突きつけていたのと同じです。

もし、あの頃の自分に会えるなら、本気でこう言いたいです。

「お前、それを子どもに言ってるつもりか?」

いや、違う。

態度で、空気で、目線で、全部伝わってる。

子どもは、大人が思っている以上に、教師の“本音”を見抜いています。

口では「大丈夫」と言いながら、心の中で「お前のせいだ」と思っている教師のことを、子どもはちゃんと感じ取っています。

そして、そういう教師の前では、
子どもは安心して失敗できません。
安心して弱さを出せません。
安心して育てません。

つまり、子どものせいにした瞬間に、教育は止まる。

自分は、そのことに、全く気づいていませんでした。

4月1日、たった一言の学年会

そんな自分を変えたのが、5年目に出会った主任の先生でした。

今でも、あの日のことをはっきり覚えています。

4月1日。

新しい学年、新しいメンバー、新しい一年のスタート。

朝から職員会議があり、それが終わったのはたしか12時前。

そこから「学年会をやる」と言われて、正直、こう思いました。

「え、今からやるんですか…?」

初日の学年会といえば、これまでの自分の中では、何時間もかけて、
• 学級経営
• 係分担
• 行事
• 座席
• 授業
• 提出物
• ルール
• 想定されるトラブル

そんなことを延々と確認していくものだと思っていました。

「大事な一年のスタートだから、時間をかけて当然」
そう思っていました。

ところが、その主任の先生は、3人で集まった最初に、たった一言、こう言ったんです。

「子どものせいにしない。」

それだけでした。

そして続けて、こう言いました。

「何かあったら、私が全部責任を取る。」
「だから、子どものせいにだけはしない。」

そして、

「以上、解散。」

本当に、それだけでした。

時間にして、おそらく1分か2分。

自分は心の中で思いました。

「え? いいの?」
「これで終わり?」
「初日なのに?」

でも、今なら分かります。

あれは、“打ち合わせ”ではなく、“哲学の共有”だったんです。

一年間、何があっても戻ってくる場所。
迷ったとき、苦しくなったとき、腹が立ったとき、判断の軸になるもの。

それを、最初にたった一言で示した。

しかも、その言葉には、
覚悟がありました。

「何かあったら、私が責任を取る」

そう言える人が、
「子どものせいにしない」と言ったんです。

だから、その言葉は
スローガンではなく、本物でした。

本当に守ってくれる人は、言葉が短い

その一年、自分は何度も救われました。

子ども同士の関係でしんどいこともありました。
いじめにつながりかねないようなこともありました。
クラスの空気が揺れることもありました。

当然、自分の心が乱れる場面もありました。

そんなとき、あの主任の先生は、いつも前に立ってくれました。

そして、自分が子どものせいにしかけた瞬間、本当にさりげなく、でも鋭く、こう言ってくれたんです。

「〇〇君、子どものせいにしない。」

たったそれだけです。

責めるわけでもない。
説教するわけでもない。
長々と語るわけでもない。

でも、その一言で、自分はハッとしました。

「あ、自分はいま、子どものせいにしようとしていた」

そう気づかされたんです。

教師は、子どもを育てる仕事です。

でも実際には、教師こそ、誰かに育てられなければならない。

あの先生は、言葉で教えたというより、在り方で教えてくれました。

そして、その一年は、本当に最高の一年になりました。

さらにそのまま持ち上がって、次の一年もまた、最高でした。

今でも思います。

あの二年間を超える二年間は、まだない。

それくらい、濃くて、温かくて、
そして、教師としての土台を作ってもらった二年間でした。

子どものせいにしないと決めた瞬間、見える景色が変わる

「子どものせいにしない」

この言葉は、きれいごとに聞こえるかもしれません。

でも、本当は逆です。

これは、
教師にとって最も厳しい言葉です。

なぜなら、子どものせいにしないと決めた瞬間、問いは全部、自分に返ってくるからです。
• なぜ、この子は話を聞けないのか
• なぜ、この子は荒れるのか
• なぜ、この子は人を傷つけるのか
• なぜ、この子は学ばないのか
• なぜ、この子は安心できていないのか

そのときに問うべきなのは、

「この子が悪い」ではなく、

「自分たちは、何を見落としているのか」
「この子がそうならざるを得ない背景は何か」
「学校として、教師として、まだできることはないか」

ということです。

もちろん、子どもの行動をそのまま許すこととは違います。

ルール違反はルール違反です。
人を傷つけることは止めなければいけない。
指導すべきことは、当然あります。

でも、それでもなお、“原因”まで子ども一人に背負わせない。

そこに、教師としての矜持があるんだと思います。

叱ることが悪いんじゃない。
厳しくすることが悪いんじゃない。

でも、その奥にあるものが

「お前が悪い」

なのか、

「君を見捨てない」

なのかで、教育はまるで別物になります。

やり方の前に、哲学がいる

後になって、自分は別の場所でも、
よく似た言葉に出会いました。

南葛FCの監督、風間八宏さんの言葉です。

「人のせいにしない。物のせいにしない。環境のせいにしない。」

この言葉を知ったとき、自分は雷に打たれたような気持ちになりました。

ああ、これも同じだ、と。

やり方や技術は、後からいくらでも学べる。
授業の技術も、学級経営の技術も、生徒指導の技術も、会議の進め方も、後から身につけることはできます。

でも、最初に持っていなければいけないものがある。

それが、哲学です。

何を大事にして、何を手放さず、何があってもどこに戻るのか。

それがないまま技術だけを持つと、教師は簡単にブレます。

うまくいっているときはいい。
でも、しんどいとき、追い込まれたとき、
忙しいとき、腹が立ったとき、
人は必ず“本音”に戻ります。

だからこそ、
最初に確認すべきなのは、方法ではなく、哲学なんです。

4月1日に何を共有するか。

それは、一年間のスケジュールでも、
提出物の期限でも、係の分担でもないのかもしれません。

もちろんそれも大事です。

でも、それ以上に大事なのは、

「私たちは、どんな教師でいたいのか」
「どんな学年でありたいのか」
「何があっても、何を大切にするのか」

そこなのだと思います。

教師は、子どもを裁く仕事ではない

時々、自分は思います。

教師という仕事は、いつの間にか、“できているか、できていないかを判定する仕事”にすり替わってしまいやすいのだと。

でも、本来の教師の仕事は、
子どもを裁くことではありません。

子どもを理解し、信じ、育てること。

もっと言えば、

「まだできていない子」に、希望を持ち続けること。

それが教師の仕事なんだと思います。

子どもは未熟です。
当たり前です。
未熟だから、学校に来ています。

できないことがある。
荒れることがある。
逃げることがある。
人を傷つけてしまうことがある。
自分でも自分を持て余すことがある。

そんな子どもに向かって、

「なんでできないんだ」

と立つのか、

「この子が育つために、自分にできることは何か」

と立つのか。

その違いが、教師の世界を決定的に分けるのだと思います。

もし、明日から一つだけ持つなら

もし、明日から一つだけ言葉を持つとしたら、自分は迷わずこれを選びます。

子どものせいにしない

授業がうまくいかないときも。
学級が揺れるときも。
保護者対応で苦しいときも。
生徒指導でしんどいときも。
職員室で孤独を感じるときも。

何度でも、ここに戻る。

子どものせいにしない。

この言葉は、子どもを守る言葉であると同時に、実は、教師自身を守る言葉でもあります。

なぜなら、子どものせいにし始めた瞬間、教師は学ぶことをやめてしまうからです。

でも、子どものせいにしないと決めた人は、苦しいけれど、成長を止めません。

問い続けるからです。

自分に。
仲間に。
学校に。
教育そのものに。

だからこそ、
教師として生きるなら、
この言葉は、一生持っていた方がいい。

自分はそう思っています。

あの日のたった一言が、今も自分をつくっている

4月1日。

たった一言。

「子どものせいにしない。」

あの言葉が、自分の教員人生を変えました。

もし、あの日、あの主任の先生に出会っていなかったら。

もし、あの言葉をもらっていなかったら。

自分は今も、“うまくいかない理由”を子どもに探し続ける教師だったかもしれません。

でも、あの一言があったから、今の自分があります。

だから、自分もまた、次の誰かに渡したいと思っています。

技術ではなく、ノウハウでもなく、まず最初に渡したい言葉として。

子どものせいにしない。

この言葉が、また誰か一人の教員人生を変えるかもしれない。

そしてその先で、
救われる子どもが、きっといる。

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