「働き方改革」と聞くと、多くの場合は業務削減や外部委託、ICTの活用といった対策が思い浮かぶ。しかし、それらは本当に本質的な解決になっているのだろうか。
現場に立つ感覚として、どうしても拭えない違和感がある。仕事が減らないのは、量の問題ではなく、構造の問題ではないかという違和感である。
教師が忙しい理由は明確だ。授業において、説明するのも、指示するのも、評価するのも、トラブルに対応するのも、すべて教師が担っている。つまり、仕事が教師一人に集中する構造になっている。
この構造を変えない限り、どれだけ業務を削減しても限界がある。
そこで考えたいのが、教室の座席配置である。前向き一斉の配置は、実は100年以上続いている「当たり前」である。しかし、この配置は教師中心の授業を前提としており、子ども同士の関わりは最小限に抑えられる構造になっている。
逆に、グループ型やコの字型の配置にすると、子ども同士の関係性が前提となる。自然と対話が生まれ、分からないことはまず隣の友達に聞くようになる。意見を出し合いながら課題を解決する場面が増えていく。
ここで重要なのは、教師の役割が変わることである。すべてを教える存在から、学びを支える存在へとシフトする。子ども同士で解決できることは任せ、必要なところにだけ関わる。この変化は、単なる授業改善ではなく、仕事の持ち方そのものの変化である。
結果として、教師の負担は確実に分散される。
つまり、働き方改革の本質は「業務を減らすこと」ではなく、「教師が抱え込まなくても回る構造をつくること」にある。
ただし、ここで一つ誤解してはいけない。座席配置を変えれば自動的にうまくいくわけではない。形だけを変えれば、むしろ雑談が増えたり、学びが浅くなったりする危険もある。
必要なのは、学び方の指導である。話し方、聞き方、役割分担、困ったときの動き方。こうしたルールや文化を丁寧に育てていくことで、はじめて学び合いは機能する。
だからこそ問いたい。
なぜ今までの配置を当たり前だと思い続けているのか。
ざわつくから、落ち着かないから、管理しにくいから。そうした理由で避けてきた結果、教師がすべてを抱え込む構造を維持してきたのではないか。
であるならば、発想を逆転させてもよいのではないか。
一部の教室だけで試すのではなく、学校全体でグループ配置やコの字型を基本とする。最初は違和感があっても、それが当たり前になれば文化になる。
働き方改革とは、頑張り方を変えることではない。当たり前を変えることである。
教師が頑張らなくても回る学校をつくる。その入口の一つが、教室の座席配置にあるのではないかと考えている。

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