こんな場面、ありませんか。
「先生、トイレ行っていいですか?」
つい、こう答えていませんか。
「いいよ」
あるいは
「今はダメ」
当たり前のやりとりです。
でも、ここに違和感はないでしょうか。
少しだけ、視点を変えてみてください。
もし先生がいなかったら、その子はどうするでしょうか。
我慢するのでしょうか。
それとも、動くのでしょうか。
ここに本質があります。
その子は、
自分で判断していない。
「いいですか?」と聞くということは、
判断を外に預けているということです。
つまり、
主体性はここで止まっています。
では、どうするか。
こんなふうに返してみてください。
「君は、どうしたいの?」
一瞬、止まります。
でも、そのあと考えます。
そして、自分で決めます。
ここで初めて、主体性が動く。
もちろん、すぐにはうまくいきません。
何でも聞いてくる子もいます。
不安になる子もいます。
でも、それでいい。
今までずっと、
判断を預けてきたのだから。
ここで大事なのは、
「好きにしていいよ」ではない、ということ。
放任ではありません。
例えば、こう伝える。
「自分で判断していいよ。ただし、
自分のこと、周りのこと、ちゃんと考えてね」
基準は示す。
でも、決めるのは本人。
この違いが大きい。
そしてもう一つ。
子どもが自分で判断して動いたとき、
そこを見逃さない。
「今、自分で考えて動いたね」
「いい判断だね」
ここを価値づける。
するとどうなるか。
また、自分で判断しようとする。
主体性が積み上がっていく。
ここで問いです。
あなたの教室は、
「許可を取る場所」になっていませんか。
それとも、
「自分で判断する場所」になっていますか。
主体性とは、自由にさせることではありません。
自分で決める経験を積むことです。
最後に。
「いいですか?」を減らすだけで、教室は変わります。
「どうしたい?」を増やすだけで、子どもは変わります。
そしていつか、聞かなくなる。
それが、主体的な姿です。

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