デフォルトシフト理論

学習指導要領が変わっても、教室は変わったのか。授業を変えたいなら、まず教室のデフォルトを変えよう。

「前向き」が当たり前の教室を、そろそろ変えてみないか。

2016年に『なぜ「教えない授業」が学力を伸ばすのか』という本に出会ったことが、私の授業観を考え直すきっかけの一つになった。

その後、学習指導要領では「主体的・対話的で深い学び」が示され、子どもたちが自ら考え、他者と対話しながら学ぶ授業の実現が求められるようになった。

ICTが普及し、生成AIを使えば、見栄えのよいスライドや教材も簡単につくれるようになった。授業づくりに使える道具は、確実に増えている。

しかし、ふと考える。

教材や説明の仕方は変わっても、子どもたちの学び方そのものは、本当に変わっているのだろうか。

教師が前に立ち、子どもたちが黒板の方を向いて座り、教師の説明を聞く。教師が発問し、子どもが挙手して答え、教師がまとめる。

もちろん、この授業形態が必要な場面はある。教師が知識や技能をわかりやすく伝えることにも、大切な意味がある。

ただ、どの授業でも同じ形が当たり前になっているとしたら、どうだろう。

子どもたちに「もっと主体的に学ぼう」「友達と対話しよう」と求めながら、教室の環境は、教師の話を聞くことを前提としたままになっていないだろうか。

私は、授業を変えるために、教師の意識や指導技術だけでなく、子どもたちが毎日過ごす教室環境そのものを見直す必要があると考えている。

そして、ここで提案したいことがある。

前向きの座席配置を出発点にするのではなく、最初からコの字型やグループ型を教室のデフォルトにしておくのはどうだろうか。

「必要なときだけ変える」から「最初からそうしておく」へ。

現在、多くの教室では、全員が黒板の方を向く座席配置が基本になっているのではないだろうか。

その状態から、話し合いの授業になれば机を動かしてグループ型にする。活動が終われば、また前向きに戻す。

つまり、前向きの座席配置がデフォルトであり、対話や協働のための配置は、必要に応じてつくる特別な状態になっている。

私は、この順番を逆にすることを提案したい。

最初からコの字型やグループ型を基本の座席配置にしておく。前向きの配置が必要なときに、その都度変更する。

これは、単に机の並べ方を変えようという話ではない。

何を教室の日常にするのか、何を特別な活動にするのか。その順番を見直す提案である。

友達と考えを伝え合うこと。隣の子に相談すること。仲間の意見を聞き、自分の考えを深めること。

こうした活動を、特別な授業のときだけに行うのではなく、日常の学習の中に位置づけていく。そのために、まず教室の基本形を変えてみるのだ。

もちろん、すべての教科、すべての活動でコの字型やグループ型が最適だと言いたいわけではない。教師の説明を聞くときや、個人で集中して課題に取り組むときには、前向きの配置が適していることもある。

だからこそ、前向きの座席配置をなくすのではなく、前向きの配置を唯一の基本形にしないという発想が重要なのだ。

必要なときに、必要な形に変える。けれども、何も変更しなければ、子どもたちが互いに顔を合わせ、対話できる環境が用意されている。

私は、そんな教室を増やしたい。

デフォルトが変われば、教室の当たり前が変わるかもしれない。

なぜ、教室の基本形を変えることに意味があるのだろうか。

ここで考えたいのが、「デフォルト」という考え方である。

デフォルトとは、特に変更しなければ、そのまま採用される初期設定や標準の状態を指す。

人は、いつも一から考えて行動を選ぶわけではない。最初から用意されている選択肢や、周囲で当たり前になっている環境の影響を受けることがある。こうした傾向は、行動経済学などで論じられているデフォルト効果とも関係している。

この考え方を教室に当てはめてみたい。

前向きの座席配置が基本なら、子どもたちは前を向き、教師の説明を聞くことを中心とした学習環境で毎日を過ごす。

一方、コの字型やグループ型が基本なら、互いの顔を見たり、隣の子に話しかけたり、仲間と考えを共有したりすることが、環境の面からは行いやすくなる可能性がある。

座席配置だけで、子どもたちの行動や意識が自動的に変わるわけではない。対話を促す授業づくりや、安心して発言できる学級の雰囲気も必要だ。

それでも、毎回「友達と話し合いましょう」と指示してから環境を整えるのではなく、初めから話し合いやすい環境をつくっておくことには意味があるのではないだろうか。

主体性や対話を、教師がその都度求めるものから、子どもたちが日常的に発揮できるものへ。

教室のデフォルトを変えることで、その実現に近づけるのではないかと考えている。

コの字型でも、ペアの対話は生まれる。

ここで、もう一つ大切にしたいことがある。

それは、コの字型とグループ型を、単純に「どちらがよいか」という話にしないことだ。

コの字型には、互いの顔が見えやすく、学級全体で意見を共有しやすいというよさがある。グループ型には、複数の子どもが向き合い、資料を囲みながら協力して課題に取り組みやすいというよさがある。

ただし、隣同士で話し合いやすいかどうかは、座席の形だけで決まるわけではない。

例えば、コの字型の座席配置でも、ペアで話しやすいように隣り合う座席を組み合わせることができる。男女を交互に配置するなど、学級の実情に応じてペアを意識した座席配置にすれば、隣同士でちょっとした相談をしたり、自分の考えを伝え合ったりしやすくなる。

つまり、コの字型は学級全体での交流に適しているだけではない。座席の組み方を工夫すれば、コの字型のままでも、隣同士のペア対話が生まれやすい環境をつくることができる。

グループ型にすること自体が目的なのではない。コの字型にすること自体が目的なのでもない。

大切なのは、子どもたちが互いの顔を見て、隣の子に気軽に相談し、必要に応じてグループや学級全体で考えを共有できることだ。

座席の形だけでなく、誰と誰が隣り合うのか、どのような対話が生まれやすいのかまで考える。そこに、教室環境を設計するという視点がある。

そして、その環境を毎回ゼロからつくるのではなく、最初から教室の基本形にしておく。

私は、ここにデフォルトを変える意味があると考えている。

広島観音高校で見た、選手が自ら動く組織。

この考えを深めるうえで、私には忘れられない経験がある。

広島観音高校サッカー部の試合を、試合前の準備から試合終了まで見学させていただいたときのことだ。

そこで目にしたのは、選手たちが自分たちでミーティングを進める姿だった。

試合前には、自分たちで目標を確認する。試合が始まれば、うまくいっていることや課題を見つける。ハーフタイムには、前半の状況を振り返り、何を改善すればよいのかを話し合う。そして、後半に向けて自分たちの行動を修正していく。

ミーティングでは、選手たちが互いに顔を合わせて話し合えるように場がつくられ、中央のホワイトボードも活用されていた。ペアやグループで考えを出し合いながら、チームとして次の行動を決めていく。

そこでは、選手たちが指導者の指示を待つのではなく、自分たちで考え、仲間と話し合い、課題を解決していく姿が見られた。

一方、対戦相手のチームは、選手たちが前を向いて並び、指導者の話を聞く形でミーティングをしていた。

もちろん、一度の試合を見ただけで、両チームの指導方法や選手の主体性をすべて判断することはできない。試合結果も、座席配置やミーティングの形だけで決まるものではない。

それでも、目の前で見た二つのチームの姿は、私に強い印象を残した。

一方では、指導者の話を聞くことがミーティングの中心になっている。もう一方では、選手たち自身が話し合い、課題を見つけ、解決策を考え、次の行動を決めている。

そこには、ミーティングの形だけでなく、選手たちがどのように学び、どのようにチームをつくっていくのかという、組織のあり方そのものの違いが表れているように感じた。

私が学んだのは、単に選手同士が向き合って座ればよいということではない。

選手たちが自分たちで考え、話し合い、決めて、行動する。そのような活動が日常の中に位置づけられていること。そして、その活動を支える場がつくられていることだ。

この姿は、学校の教室にもつながるものがある。

子どもたちに主体性を求めるなら、主体性を発揮する機会を日常の中に用意する。子どもたちに対話を求めるなら、対話が生まれやすい環境を日常の中に用意する。

そして、その環境を、特別な活動のときだけにつくるのではなく、初めから教室の基本形にしておく。

広島観音高校で見た実践は、私にそんな問いを投げかけてくれた。

「先生、どうすればいいですか」から「私たちはこう考えます」へ。

教室でも、似たようなことが起きていないだろうか。

何か問題が起きると、すぐに教師の顔を見る。次に何をすればよいのか、教師から指示が出るのを待つ。話し合いでも、教師が発問し、教師が指名し、教師がまとめる。

こうした姿は、子どもたちの意欲が低いから生まれるとは限らない。教師の指示に従うことが中心となる環境の中で、長い時間を過ごしてきた結果かもしれない。

だからこそ、子どもたちに「もっと自分で考えなさい」と求めるだけでは十分ではない。

子ども同士が自然に顔を合わせられるようにする。隣の子に気軽に相談できるようにする。ペアで考えたことをグループで深め、学級全体で共有できるようにする。

教師が答えを示す前に、子どもたちが互いの考えを聞き、意見の違いに気づき、自分たちなりの解決策を考える機会をつくる。

そして、必要なときに教師が支援する。

こうした授業を、一部の特別な時間だけでなく、日常の学習の中に位置づけていく。

そのために、まずは教室の基本形を変えてみる。

前向きの座席配置から始め、対話が必要になるたびに環境を変えるのではない。コの字型やグループ型を基本にしておき、前向きの配置が必要なときに変更する。

この順番の違いが、毎日の授業づくりを見直すきっかけになるかもしれない。

目指したいのは、教師が何も教えない教室ではない。教師が子どもたちを放任する教室でもない。

教師が必要な知識や考え方を教えながらも、子どもたちが自分で考え、対話し、学びを進める余地を確保する教室だ。

教師がすべてを決めるのではなく、子どもたちが決められることを少しずつ増やしていく。教師が答えを与えるだけでなく、子どもたちが仲間と答えをつくっていく。

その土台として、教室環境を見直すのである。

これが、私の考える「デフォルトシフト理論」。

私は、こうした考え方を「デフォルトシフト理論」として整理していきたいと考えている。

その中心にあるのは、次の提案だ。

前向きの座席配置を基本にして、必要なときだけ対話型の環境に変えるのではない。コの字型やグループ型を基本にして、必要なときに前向きの配置へ変える。

これは、座席配置の優劣を決める理論ではない。すべての授業を一つの形に固定する理論でもない。

教師の意識改革や授業技術の向上だけに頼るのではなく、子どもたちが日常的に過ごす環境を見直し、望ましい学び方や関わり方が生まれやすい状態をつくることで、教室の文化そのものを変えていこうとする考え方だ。

例えば、コの字型やグループ型を教室の基本形として位置づける。コの字型であっても、ペアで話しやすいように座席を組み合わせる。教師の説明を聞く時間と、子ども同士が考えを交流する時間の両方を大切にする。

そうすることで、子どもたちが互いの顔を見て、考えを伝え合い、仲間と学ぶことが、教室の新しい当たり前になっていく可能性がある。

もちろん、座席配置を変えれば必ず学習意欲が高まる、学力が向上すると決めつけることはできない。実際に、子ども同士の発話や相談の頻度がどう変わるのか、自分の考えを深める姿が増えるのか、授業の中で確かめていく必要がある。

大切なのは、環境を変えたことで満足するのではなく、その環境が子どもたちの学びにどうつながったのかを見取り、改善していくことだ。

デフォルトを変えることは、ゴールではない。学び方を変えるための出発点である。

学び方を変えろと求める前に、学び方が変わる環境をつくろう。

学習指導要領が変わり、新しい教育の方向性が示されても、教室の日常が変わらなければ、子どもたちの学び方は大きく変わらないかもしれない。

教師が「主体的に学ぼう」と呼びかけることは大切だ。しかし、それと同時に、子どもたちが主体的に学びやすい環境を整えることも大切なのではないだろうか。

いつも前を向いて座ることだけが当たり前ではない。教師の説明を聞くことだけが学びではない。友達と考えを交流することも、互いに問いかけることも、仲間と解決策をつくることも、日常の学びの一部にできる。

そのために、まずは教室の基本形を変えてみる。

コの字型にしてみる。グループ型にしてみる。コの字型のまま、隣同士で話しやすいペア配置を工夫してみる。

そして、必要なときには前向きの配置に変えればよい。

大切なのは、前向きの座席配置を唯一の出発点にしないことだ。

学び方を変えろと求める前に、学び方が変わる環境をつくろう。

対話を特別な活動にするのではなく、対話が生まれやすい環境を教室の当たり前にする。

教室のデフォルトを変えることから、授業のデフォルトを変えていく。

それが、私の提案する「デフォルトシフト理論」の出発点である。

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