
なぜ、同じ指導や練習をしているのに、成長する子とそうでない子が分かれてしまうのでしょうか。
学校やスポーツの現場では、「みんな同じ」が大切にされることがよくあります。
同じ教材を使い、同じ時間をかけ、同じルールや指導で子どもたちに接する。
それは間違いなく「平等」であり、大人が組織を運営する上での安心感にもつながっています。
しかし、本当にそれだけで全員が最大限に力を発揮できているでしょうか。
有名な「平等と公平の違い」を表すイラストがあります。
全員に同じ高さの箱を配るのが「平等」ですが、それでは身長の低い子どもはフェンスの向こうが見えません。
一方で、背の低い子には複数の箱を渡し、十分に見えている子には箱を必要としないのが「公平」です。
必要な人には必要な支援を届けることで、初めて全員が同じ景色を見ることができます。
この構造は、日々の授業やスポーツの現場でもまったく同じように起きています。
全員に同じプリントを配り、同じ宿題を出し、同じ基準で評価する。
その一律の対応だけでは、子どもたちの力は伸び悩みます。
ある子には手厚いヒントが必要であり、ある子にはさらに高い挑戦課題が必要であり、またある子には何より安心できる言葉かけが必要なのです。
サッカーの指導でも痛感します。
全員に全く同じ練習メニューを与えても、そこで飛躍的に伸びる子もいれば、途中で立ち止まってしまう子もいます。
子どもたちの技術や経験だけでなく、性格や自信、抱いている目標は一人ひとりまったく異なります。
だからこそ、「何を教えるか」以上に、「誰に、どんなタイミングで、どんなアプローチをするか」という個別最適の視点が重要になってきます。
ただ、現場の難しさはその一歩先にあります。
もし周囲への配慮や説明が不足したまま特定の子だけに特別な支援を行うと、他の子から「あの子だけずるい」という不満や違和感が生まれてしまうことがあります。
真の公平とは、単に支援の形を変えることだけではありません。
お互いの「違い」を否定せず、認め合える温かな文化や関係性をクラスやチームの中に育むことまでがセットになって初めて成立します。
教師やリーダーの役割とは、子どもたち全員を全く同じゴールへ無理やり引き連れていくことではありません。
一人ひとりが自分の足で前を向き、自らの力で未来を切り拓けるように支えることです。
だからこそ、支援の方法が違うことは当然であり、不公平でも何でもありません。
「必要だから違う」という前提に立てるかどうかで、学校や職場の空気は大きく変わっていきます。
教育や人材育成とは、人を型にはめて同じようにする営みではありません。
一人ひとりの違いをそのまま力に変え、それぞれの可能性を花開かせる営みなのだと信じています。
あなたの周りには、一人ひとりの違いを面白がり、お互いを支え合える環境がありますか。

コメント