「お前にはまだ、試合に出るだけの力が足りなかった。」
試合に敗れ、目標としていた舞台に立てなかった選手に対して、指導者がそう告げる場面に出会うことがあります。あるいは、試合が終わった後に「私の力不足です」と口にする指導者もいます。
しかし、その言葉を聞いたとき、私たちは胸の奥底で言いようのない違和感や、冷たさを覚えないでしょうか。
「本当にそれは、子どもの実力不足だったのだろうか。」
「試合が終わってから『力不足でした』と片付けるのではなく、最高学年になった子どもたちをその舞台に立たせるための力を、指導者である自分は伸ばしてあげられたのだろうか。」
今回は、プロではないクラブチームという空間で、勝負の裏にある「指導者の責任とあり方」について、さらに深く問い直してみたいと思います。
「お前の力が足りなかった」という選手のせいにする構造
試合に出られない選手が生まれたとき、あるいは目標の大会に届かなかったとき、指導者が心の中で(あるいは言葉に出して)「ここまで這い上がれなかったお前の責任だ」と線を引いてしまうことがあります。
「俺はチャンスを与えた。そのチャンスをつかめなかったのはお前自身の問題だ」
「努力が足りなかったから、メンバーから漏れたんだ」
一見すると、それは自己責任論として筋が通っているように見えるかもしれません。しかし、それは本当に指導者としての責任を果たしたと言えるのでしょうか。
子どもたちは、日々の練習に時間とエネルギーを注ぎ、クラブチームという環境に信頼を置いて身を置いています。その子どもたちを預かる大人が、結果が出なかったときに「お前がここまで上がってこなかったから使わなかった」と選手のせいにすることは、あまりにも無責任ではないでしょうか。
それは、成長のプロセスを支えるはずの環境を自ら放棄し、結果だけを基準にして子どもを切り捨てる行為に他なりません。
本当の「力不足」とは、どこに向き合うことなのか
「私の力不足です」という言葉が、単なる形式的な謝罪や、責任逃れの常套句として使われることがあります。試合に負けた瞬間だけその言葉を並べても、日々の指導の中で子どもたちとどう向き合い、どう引き上げてきたのかという実態が伴っていなければ、それはただの言い訳に過ぎません。
本当に問われるべき「力不足」とは、次のような自省です。
「最高学年としてチームを引っ張ってきた子どもたちを、あのピッチに立たせるだけの指導ができただろうか」
「試合に出られない選手が生まれたとき、その子の可能性を信じ抜き、技術やメンタル、人間性を伸ばしきれただろうか」
「選ばれなかった選手が、自分の価値を見失わずに次へ進めるだけの関わりを、日頃からできていただろうか」
子どもたちの成長を諦めず、その場に立つ力を伸ばしてあげられなかったこと。その現実から逃げず、指導者自身がまず深く自分を反省し、子どもたちに対して心から詫びる姿勢。それがないままに、結果だけを個人の能力のせいにすることは、教育としても、人を育てる組織としても許されないのではないでしょうか。
謙虚な姿勢と、共に創る環境の力
「お前が足りなかった」と選手を責める指導者のもとでは、子どもたちは委縮し、失敗を恐れ、次第に主体性を失っていきます。なぜなら、どれだけ努力しても「結果が出なければ自分のせいだ」というプレッシャーに押しつぶされてしまうからです。
一方で、指導者が自らの未熟さと向き合い、「もっと違うアプローチがあったのではないか」「君たちをあの場所に連れて行ってあげられなくて申し訳ない」と謙虚に語りかけるチームには、全く異なる空気が生まれます。
たとえ試合に負けたとしても、選手たちは「自分はこの大人に見捨てられていない」「一緒に戦ってきたんだ」という深い信頼を感じることができます。そしてその悔しさは、次の世代や、これからの人生を生き抜くための確かなエネルギーへと変わっていきます。
環境は変えることができます。しかし、それは大人が「自分のせいではない」という保身を捨て、当事者意識を持ったときにはじめて動き出します。
明日から、どんな大人として子どもに向き合いますか
「プロじゃないのに、なぜここまで苦しい思いをしなければならないのだろう。」
その問いの答えは、勝敗の数だけにあるのではありません。
子どもたちと本気で向き合い、勝てなかった現実の重みを大人自身が引き受け、共に涙を流せるかどうか。その誠実な姿勢の中にこそ、人が本当に育つ環境の本質があります。
結果が出た後に他人のせいにするのではなく、日々のプロセスにおける自分の未熟さを直視できるか。
あなたの周りには今、どんな思いを抱えている子どもや仲間がいますか。そして、私たちはどんな謙虚さと温もりを持って、その人たちの可能性に向き合っていくべきでしょうか。
主体性を育てる組織づくり:結果が出てから「自分の力不足」と言う指導者への違和感と、真の責任のあり方
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