「わからないから教えて」があふれる学級をつくる

初任者の先生方に学級経営の話をするとき、私はまず「何のために学級をつくるのか」という原点を考えてほしいと思っています。

私たちの教育には大きな流れがあります。最高位には憲法があり、その下に教育基本法があります。教育基本法には教育の目的が示され、その目的を実現するために学校教育の目標が定められています。そして、その目標を学校経営に落とし込み、さらに学級経営へと具体化していくのです。

つまり、学級経営は単に教室を落ち着かせたり、授業を成立させたりするための技術ではありません。教育の目的を子どもたちの姿として具現化する営みなのです。

では、その具現化とは何でしょうか。

私は、「思いやりと感謝が渦巻く学級をつくること」だと思っています。そして、その出発点となるキーフレーズが「わからないから教えて」です。

子どもが「わからないから教えて」と言う。すると友達が「いいよ」と教える。教えてもらった子は「ありがとう」と言う。この何気ないやり取りの中には、実は教育が目指す大切な価値が詰まっています。

「わからないから教えて」と言うためには、自分の弱さや困り感を素直に表現する勇気が必要です。そして「いいよ」と応えるためには相手を助けたいという思いやりが必要です。さらに「ありがとう」と言うことで感謝が生まれます。

つまり、「わからないから教えて」という一言から、思いやりと感謝の循環が始まるのです。

教師はどうしても「教科書の内容を教えなければ」「学習内容を理解させなければ」という思いを強く持ちます。それはもちろん大切なことです。しかし、もう一段高い視点で考えると、私たちは教科書を教えているのではなく、教科書を通して人を育てているのです。

例えば授業中、「これってどういう意味だろう」と疑問をもつ場面があります。そのときに「わからないから教えて」と友達に聞くことができる。すると教えてもらえる。そして「ありがとう」が生まれる。

問題は解決します。しかし解決しているのは学習課題だけではありません。同時に思いやりと感謝の心も育っているのです。

だから教材は単なる知識を教えるための材料ではありません。教材をみんなで解釈する過程そのものが、人と人との関わりを育てる機会なのです。

この考え方は授業だけに限りません。学校生活のあらゆる場面に広げることができます。

例えば、誰かが発言しようとしているときです。その子が少し体を前に出したり、手を動かしたりしている姿を見て、「何か言いたいのかな」と周りが気付く。そして「どうぞ」と受け止める。話し始めた子は「聞いてくれてありがとう」という気持ちになります。

これもまた思いやりと感謝の循環です。

考えてみると、多くの思いやりは「相手のことがわからないから教えて」という姿勢から始まっています。「何を考えているのかな」「何に困っているのかな」「何を伝えたいのかな」。そんな関心をもつことが、相手への注目につながります。そして、その注目が思いやりを生み、感謝を生むのです。

だから教師には、こうした場面を見つける目が必要です。

授業が終わった後に、「今のやり取り、よかったね」「困っていた友達に声をかけていたね」「教えてもらってありがとうが言えたね」と価値づける。教師が承認した行動は広がります。認められた行動は文化になります。

やがて一人の行動が学級全体へ広がり、学級の文化になり、学校の文化になっていきます。

私はよく「学校は幸せになるためにある」と話します。幸せとは、誰かに勝つことだけではありません。誰かを助けたり、誰かに助けてもらったり、誰かとつながったりすることの中にもあります。

その第一歩が、「わからないから教えて」という一言なのではないでしょうか。

初任者の先生方には、ぜひこの言葉が飛び交う学級を目指してほしいと思います。子どもたちが安心して「わからないから教えて」と言える学級。それに対して「いいよ」と応える仲間がいる学級。そして自然に「ありがとう」が生まれる学級。

そんな学級には思いやりと感謝が渦巻きます。

教科書を教えることも大切です。しかし、その教科書をみんなで学ぶ過程を通して、思いやりと感謝を育てていくことこそ、学級経営の本質なのではないかと思うのです。

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