失点したとき、なぜ集まらないのだろう?

岡田武史さんが紹介していた話が印象に残っている。

U-17ワールドカップ準決勝。開催国ブラジルはフランス相手に前半を0-2で折り返した。苦しい展開だったが、ハーフタイムになると選手たちは自分たちだけで激しく議論を始めたという。監督から答えをもらうのではなく、「何がうまくいっていないのか」「後半はどう戦うのか」を自分たちで話し合った。そして後半、ブラジルは見事に逆転勝利を収めた。

もちろん、この試合に勝った理由は一つではない。しかし、私はこのエピソードに「主体性」の本質が詰まっているように感じる。

一方で、日本のサッカーを見ていると、ふと疑問に思うことがある。

失点したとき、なぜ選手たちは集まらないのだろう。

失点はチームにとって大きな問題が起きた瞬間だ。守備のズレがあったのかもしれない。マークの受け渡しがうまくいかなかったのかもしれない。あるいは攻撃でボールを失った原因があったのかもしれない。

本来なら、その場で選手同士が集まり、

「今の失点は何が原因だった?」
「誰が声を出す?」
「次はどう守る?」

と確認してもよさそうなものである。

しかし実際には、多くのチームで選手たちは黙ってセンターサークルへ戻る。そして再開後、ベンチからの指示を待つ。

もちろん、指導者の助言は大切だ。しかし、試合中にピッチで起きていることを最も感じているのは、ベンチではなく選手たち自身である。だからこそ、本当に力のあるチームは、監督が何かを言う前に選手同士で修正を始める。

私は「選手主体」とは、監督が何もしないことではないと思う。

選手主体とは、選手が自分たちのチームの課題を自分たちの課題として捉え、自分たちで解決しようとする姿勢のことである。

学校で考えてみても同じだ。教師が全てを指示し続ける学級よりも、子どもたちが自分たちで問題を見つけ、話し合い、解決しようとする学級の方が成長する。サッカーも同じではないだろうか。

だから私は最近、失点した場面を見ると、「誰が悪かったのか」よりも、「この後、選手たちは集まるだろうか」を見るようになった。

失点は悪いことではない。

本当に惜しいのは、失点から学ぶチャンスを逃してしまうことである。

ブラジルの選手たちがハーフタイムで見せた姿は、決して特別な才能ではない。自分たちで考え、自分たちで話し、自分たちで答えを探そうとする文化である。

失点したら集まる。
うまくいかなかったら話す。
困ったら仲間に問いかける。

そんな当たり前の姿が増えていけば、選手たちは「指示を待つ選手」から、「試合を動かす選手」へと変わっていくのだと思う。

2026.06.15

W杯オランダ戦

失点後、日本は集まった

これからこれが当たり前になるだろう

ただ、安芸南高校、広島観音高校は10年も前からやっていた

こういうことは、後からやってくる

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