以前のブログでも書いた。
「魚を与える」のではなく、「魚の釣り方を教える」ことが大事だと。
しかし、今振り返ると、もっと本質的なことがあるように思う。
それは、
「魚を釣らざるを得ない環境に置くこと」
である。
自分自身が“与えられる側”だった
自分は小学校、中学校と、ずっとサッカーを続けてきた。
特に中学校では、Jクラブ組織のアカデミーで育った。
素晴らしい指導者がいた。
素晴らしいトレーニングがあった。
素晴らしい言葉があった。
本当に恵まれた環境だったと思う。
だからこそ、自分たちは「教えてもらうこと」に慣れていた。
指示を受け、
答えを与えられ、
用意されたメニューをこなし、
その中で成長してきた。
もちろん、それによって力は伸びた。
しかし今思えば、
「自分たちで生み出す力」
は弱かったのだと思う。
高校3年の4月、突然環境が変わった
高校にも熱心な指導者がいた。
毎日、一生懸命教えてくれた。
ただ、高校3年の4月。
その指導者が転勤した。
そこから、練習は大きく変わった。
それまでのように、
「与えられる練習」
がなくなった。
真面目だった自分たちは、それまでやってきたことを継続しようとはした。
しかし、
新たに自分たちで生み出すことができなかった。
その時、初めて気づいた。
自分たちは、
指導者に頼り切っていた
のだと。
そして正直、最初は思った。
「なんでいなくなったんだ」
と。
魚を与えられていた
まさに、魚の話と同じだった。
それまで、自分たちはずっと魚を与えられてきた。
だから、
与えてくれる人がいなくなった瞬間、
魚がなくなった。
そこから、必死にもがいた。
苦しかった。
最初はうまくいかなかった。
でも、
「勝ちたい」
という思いだけはあった。
Want to があった。
だから、
「今、自分たちに必要なことは何か」
を考え始めた。
魚が取れないと分かった瞬間、
自分たちで魚の釣り方を学び始めたのである。
たった2ヶ月で人は変わる
試行錯誤を続けた。
新人戦では地区1位だったチームが、
総体予選では地区3位。
苦しい現実だった。
それでも、この経験は大きかった。
たった2ヶ月。
されど2ヶ月。
人は変わる。
自分たちで考え、
自分たちで決め、
自分たちで動こうとし始めた。
そして何より、
「やらされる」
ではなく、
「やりたいからやる」
に変わった。
ここが大きかった。
面白いのはその後だった
次の年も、さらにその次の年も、
専門のサッカー顧問はつかなかった。
しかし地区では圧倒的な成績を残した?
顧問になった先生は素晴らしかった。
野球出身だった。
サッカー経験者ではない。
でも、
“心に火をつける”
ことが本当に上手だった。
ここで気づいた。
野球でもサッカーでも同じなのは、
技術論だけではない。
環境づくり
なのだと。
主体である選手が、
「やりたい」
と思える環境。
「自分たちでやろう」
と思える空気。
そこを作ることが、指導者の役割なのだと感じた。
素人顧問を言い訳にしなかった
面白かったのは、
誰も「顧問が素人だから」とは言わなかったことだ。
むしろ、
「野球で成功してきた人なんだから、使えるものは吸収しよう」
という空気になっていた。
その時の自分たちには、
“学ぼうとする姿勢”
があった。
これはスポーツだけではない。
授業でも、仕事でも、人生でも同じだと思う。
謙虚に学び続けること。
そのためには、
「目的」
が必要なのである。
魚を釣りたいと思わせること
魚を釣る方法を教えることも大切。
でも、その前にもっと大切なのは、
「魚を釣りたい」
と思わせることだ。
サッカーで勝ちたい。
もっと上手くなりたい。
仲間と喜びたい。
だから学ぶ。
だから吸収する。
だから伸びる。
やれと言われてやるのではない。
Want があるから、人は変わる。
方法論ではなく、“環境”
だから今、強く思う。
JFAの皆さん。
方法論だけではない。
「そうせざるを得ない環境」
を作ることが大切なのではないでしょうか。
指導者がずっと喋り続ける。
答えを与え続ける。
それでは主体性の芽を摘んでしまう。
最初に指導者が全部語ってしまった瞬間、
子どもたちは、
「考えなくていい」
になる。
だから必要なのは、
教え込む環境ではなく、
自分たちでやる環境。
⸻
円になる意味
別に円形にこだわる必要はない。
しかし、
輪になればなるほど、
目と目が合う。
表情が見える。
安心感が生まれる。
脳科学的にも、
安心感の土台の上にこそ、
挑戦や達成のドーパミンが乗る。
つまり、
「安心して話せる環境」
があって初めて、
主体的な挑戦が始まるのである。
だからまず、
環境を変える。
指導者が変わる前に、
空気を変える。
配置を変える。
関わり方を変える。
そこから始めるべきではないだろうか。
⸻
なぜ環境を変えようとしないのか
自分は、ずっとそこに疑問を持っている。
主体性を育てたい。
対話を増やしたい。
考える選手を育てたい。
そう言いながら、
環境は昔のまま。
指導者が前に立ち、
選手は並び、
聞く。
その構図を変えない。
本当にそれで主体性は育つのだろうか。
まず変えるべきは、
指導方法より、
環境なのではないだろうか。
そう強く感じている。

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