以前、離島の小さな学校に勤務していたことがあります。
そこで、私は
「子は島の宝=子宝」という言葉の本当の意味を知りました。
言葉としては知っていました。
でも、そこでは比喩ではなかった。
本当に、宝として扱われていた。
人数が少ないから大切にする、という話ではありません。
一人ひとりが、
地域の未来そのものだったのです。
叱るときも本気。
褒めるときも本気。
見守るときも本気。
そこには、
「誰かの子」ではなく
「みんなの宝」という空気がありました。
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Imagineが教えてくれた“想像”
ジョン・レノンの
Imagine は
境界線のない世界を想像してみよう、と歌います。
あの離島での教育は、
まさに“想像”の連続でした。
あの子の家では、今どんな時間が流れているのか。
今日の一言は、家でどう受け止められるだろうか。
想像することは、
優しさであり、責任でした。
宝を預かっている、
という感覚があったからです。
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We Are the Worldの“共有”
We Are the World が伝えたのは、
「私たちはひとつだ」というメッセージ。
あの学校では、
それが特別なスローガンではなく、日常でした。
運動会は地域の行事でもあり、
卒業式は地域の節目でもあった。
子どもは、
家庭の所有物ではなく、
地域の希望でした。
だから、失敗しても見放されない。
だから、やり直す場所がある。
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子どものせいにしない、という覚悟
私はそこで、強く思いました。
「子どものせいにしない」
宝が輝かないとき、
磨き方を変えるのは大人の役目。
宝が曇って見えるとき、
光の当て方を変えるのも大人の役目。
子どもを原因にしない文化。
それは理想ではなく、
現実として存在していました。
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もし、歌で“つなぐ”なら
Imagineの
「想像する力」と、
We Are the Worldの
「支え合う姿勢」を、
日本語で、
政治色を帯びず、
誰かを責めるのではなく、
ただ“宝を守る”という視点で
つなぐことができたら。
私は参加したい。
声を荒げるのではなく、
声を重ねる。
平和とは、
大きなスローガンではなく、
目の前の子どもを
宝として扱う文化の延長にあるのだと思うから。
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島から学んだこと(名前は出さないけれど)
場所の名前は出さなくてもいい。
でも、あの経験は
今の私の教育観の土台になっています。
学校は
幸せになるためにある。
そして
応援される人になるためにある。
宝を宝として扱う社会は、
きっと分断を選びにくい。
Imagineと
We Are the Worldを
“つなぐ”。
それは世界を変えることではなく、
宝を守る文化を広げること。
私は、
その側に立っていたい。

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