多くの先生が、
「主体的・対話的に」
「子ども同士をつないで」
「協働的に」
と言いながら、
教室に入ると、
結局いつもの前向き一斉。
なぜか。
実は、
“やりたくない”というより、
“怖い”
のだと思います。
コの字にすると、
* 子どもの表情が全部見える
* 誰が考えていないか分かる
* 教師が一方的に進めにくい
* 静かにさせにくい
* 管理しにくい
* 予定通り進まない
つまり、
教師側もOS更新を迫られる。
前向き一斉は、
実は教師にとっても「安心」なんです。
進行しやすい。
コントロールしやすい。
授業が崩れにくい。
だから悪ではない。
ただ、
その安心感が強すぎると、
子どもたちは、
「先生を見る」
「先生の正解を待つ」
「先生に評価される」
というモードから抜け出しにくくなる。
ここが難しいところなんですよね。
しかも、
日本の学校文化は長年、
「静か=良い授業」
という価値観も強かった。
だから、
グループ活動で少しざわつくだけで、
不安になる。
でも、本来、
“学び”
って、
少しざわつくものでもあると思うんです。
「あれ?」
「どういうこと?」
「違うんじゃない?」
「それ面白い」
そういう言葉が行き交う空間は、
ある意味、自然なんですよね。
だから最近私は、
“座席配置は教育観”
だと思っています。
黒板中心なのか。
教師中心なのか。
子ども同士が見えるのか。
誰の声が教室に流れるのか。
実は、
座席だけで、
教室のOSが見えてしまう。
もちろん、
いきなり全部コの字は難しいです。
でも、
* 最後の5分だけ向き合う
* 週1回だけ円になる
* 隣と話す時間を固定する
* 「先生ではなく仲間に聞く」を増やす
それだけでも、
OSは少しずつ更新されていく。
完璧なアップデートじゃなくていい。
でも、
「変えようとしている教室」には、
子どもも空気も少しずつ反応していく。
私はそんな気がしています。

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