
――選手主体を特別な取り組みから、当たり前の日常へ
選手が指導者の顔を見る。
指導者が何かを言う。
選手が動く。
私たちは、こうした光景を当たり前のように見てきたのではないだろうか。
もちろん、指導者の話を聞き、指示を理解し、正確に実行することは大切な能力である。特に、サッカーの原理原則や技術、戦術を学ぶ過程では、指導者が知識や経験を伝えることに大きな意味がある。
しかし、ここで一つ、考えてみたい。
指導者の指示がなければ動けない選手と、自分で状況を判断して動ける選手。私たちは、どちらの選手を育てたいのだろうか。
そして、そのために、日々の指導のあり方をどこまで見直せているだろうか。
選手主体は、指導者の専門性を否定するものではない
選手主体、ボトムアップ。
こうした言葉を聞くと、指導者が教えることを減らす、選手にすべてを任せる、あるいは従来の指導法を否定することだと受け取られることがあるかもしれない。
しかし、私が考える選手主体は、そういうことではない。
A・Bライセンスをはじめ、指導者が学んできた知識や理論、技術、経験は、選手の成長を支える大切な財産である。
選手のプレーを見極め、適切なタイミングで介入する。必要なことを伝える。選手の理解を促す。プレーの質を高めるために、問いかけや助言を行う。
そうした指導者の専門性は、これからも必要である。
フリーズコーチングも、シンクロコーチングも、必要な場面で活用すればよい。
問題は、それらを使うか、使わないかではない。
誰が課題を見つけ、誰が考え、誰が解決の主体となっているのか。
そこに目を向ける必要があるのではないだろうか。
指導者が課題を見つけ、解決策を示し、選手がそれを実行する。
この流れが有効な場面は、確かにある。
一方で、選手が課題を見つけ、自分たちなりの解決策を考え、「こうしたいのですが、どうですか?」と指導者に提案する。
指導者はその考えを受け止め、必要に応じて問いかけ、助言し、時にはプレーを止めて伝える。そして、選手自身が実際に試し、その結果を振り返る。
この二つは、対立するものではない。
大切なのは、指導者が主導する方法だけでなく、選手が主体となる方法も、日常の中に当たり前に存在していることだと思う。
森保ジャパンやFC今治から、何を学ぶのか
日本代表の森保ジャパンを見ていると、ピッチ上で選手が状況を読み、自ら判断し、仲間と連係しながらプレーすることの重要性を改めて感じる。
試合中、指導者がすべての状況を把握し、その都度、最適な指示を送ることはできない。
相手の立ち位置、味方の動き、スペースの変化。状況は一瞬ごとに変わる。
その場で判断するのは、ピッチに立つ選手自身である。
また、FC今治での取り組みを通じて岡田武史さんが大切にしてきた、自ら考え、判断し、行動できる人間を育てるという視点も、育成年代の指導を考えるうえで示唆に富んでいる。
もちろん、日本代表やプロの現場と育成年代を、そのまま同じように考えることはできない。
しかし、だからこそ考えたい。
将来、自ら判断できる選手を育てたいのであれば、今、私たちはその力を発揮する機会をどれだけ与えているだろうか。
試合中は自分で判断しろと言いながら、普段の練習では指導者の指示を待つことが当たり前になっていないだろうか。
選手の判断を求めながら、指導者の想定と異なる選択をしたとき、すぐに正解を与えてはいないだろうか。
選手に主体性を求めるのであれば、主体性を発揮できる環境を、私たち指導者がつくる必要がある。
必要なのは、コーチングの否定ではなく「デフォルトシフト」
ここで提案したいのが、指導の「デフォルトシフト」である。
デフォルトとは、特別な設定をしなくても、最初からそうなっている基本の状態のこと。
つまり、選手主体を特別な日や特別なメニューだけで実践するのではなく、普段の活動の基本構造そのものを変えていくということだ。
これまでの基本が、
「指導者が考える。指導者が決める。選手が実行する」
だったとすれば、これからは、
「選手が気づく。選手が考える。選手が提案する。指導者が必要な支援をする。そして、選手が実行し、振り返る」
という流れも、日常の基本にしていく。
ここで重要なのは、指導者が考えたり、判断したりすることをやめるのではないということだ。
選手が自分で考えるべき場面では、まず選手の考えを引き出す。指導者が教えるべき場面では、専門性を発揮して教える。
選手に任せることと、指導者が責任を持って指導すること。その両方を、状況に応じて使い分けるのである。
例えば、練習中に課題が見つかったとする。
すぐに指導者がプレーを止め、改善策を説明することもできる。
しかし、その前に一度、選手に尋ねてみる。
「今、何が起きていた?」
「どうすれば改善できそう?」
「自分たちは、次にどうしたい?」
選手から考えが出てきたら、それを実際に試してみる。必要であれば、指導者が問いを加えたり、技術的・戦術的なポイントを伝えたりする。
こうすれば、指導者の知識や経験を生かしながら、選手自身が課題解決のプロセスに参加できる。
フリーズコーチングやシンクロコーチングも、もちろん活用できる。
変えるのはコーチングの技術ではない。
その技術を、選手の主体的な学びにつなげるための仕組みである。
選手に任せることは、放任することではない
選手主体という言葉を掲げれば、自然に選手が成長するわけではない。
経験が不足していれば、判断に迷うこともある。話し合いがうまく進まないこともある。選んだ方法が、うまくいかないこともある。
だからこそ、指導者の存在が必要になる。
選手の発達段階を見極め、どこまで任せるかを考える。必要な知識や技術を伝える。安全を守る。選手だけでは解決が難しい場面では、適切に介入する。
そして、すぐに答えを示したくなる場面でも、少しだけ待ってみる。
選手が考えている時間は、何もしていない時間ではない。
仲間の意見を聞き、自分の考えを整理し、違う意見と向き合い、解決策を探している時間でもある。
その過程を支えることも、指導者の重要な役割だと思う。
選手が失敗しないように、指導者がすべてを整えるのか。
それとも、安全と成長に必要な支援をしながら、選手が試行錯誤できる余地を残すのか。
その違いは、選手が将来自分で判断する力を身につけていくうえで、大きな意味を持つのではないだろうか。
試合の振り返りを、選手の学びの出発点にする
先日の活動でも、選手たちが試合を振り返り、攻撃や守備の良かった点、改善したい点を自分たちの言葉で整理する姿が見られた。
中盤の守備をどう改善するか。ボールを奪ったあと、どのように攻撃へつなげるか。
選手自身が気づいた課題と、指導者が試合を分析して見えた課題を照らし合わせることで、次のトレーニングテーマを考えることができる。
ここには、選手主体の取り組みを実践する具体的な可能性がある。
選手の振り返りを聞いて終わりにするのではない。
指導者の分析だけで課題を決めるのでもない。
選手が捉えた現象を出発点に、指導者の専門的な視点を加え、次のトレーニングにつなげる。そして、トレーニングで試したことを、次の試合で確かめる。
このサイクルを繰り返すことで、選手は自分たちのプレーをより深く理解し、課題を自分事として捉えられるようになる。
もちろん、選手の考えがいつも正しいわけではない。
だからこそ、指導者の分析や助言が必要になる。
選手の考えと指導者の専門性を対立させるのではなく、両者を組み合わせ、より良い学びをつくっていくのである。
選手主体を、特別な取り組みで終わらせない
選手主体の活動は、従来の指導に慣れている人から見ると、新鮮に映ることもあれば、違和感を覚えることもあるだろう。
指導者がすぐに答えを示さない。選手同士で話し合う時間がある。選手から指導者に提案する。
一見すると、効率が悪いように見えるかもしれない。
しかし、短い時間で指導者の意図を伝えることと、時間をかけて選手自身が考え、理解し、判断できるようになることは、必ずしも同じではない。
何を優先するかは、育成の目的によって変わってくる。
目の前のプレーを改善することも大切だ。
同時に、選手が自分で課題を発見し、仲間と協力し、解決策を考えられるようになることも大切だ。
そして、その力はサッカーの場面だけで身につくものではない。
学校生活でも、日々の授業でも、仲間との関わりの中でも、自分で考え、相手の意見を聞き、協力して行動する機会は数多くある。
サッカーだけで主体性を育てようとするのではなく、日常生活全体の中で育まれる力を、サッカーの成長にもつなげていく。
そうした視点も、選手の育成には欠かせないと思う。
指導者が変わるとは、何を変えることなのか
ここまで述べてきたことは、従来の指導者を否定するためのものではない。
これまで選手の成長のために積み重ねてきた努力や、学んできた知識・技術を否定したいわけでもない。
むしろ、それらをこれからの選手育成に、さらに生かしていくための問いかけである。
私たち指導者は、知識を伝えることができる。技術を教えることができる。戦術を整理することができる。適切なタイミングで介入し、選手の成長を後押しすることができる。
その専門性を持っているからこそ、もう一つの問いを持ちたい。
自分が教えることで選手を成長させるだけでなく、選手自身が学び、成長していける仕組みをつくれているだろうか。
指導者が主役となってチームを動かすのか。
それとも、選手が主役となり、指導者がその成長を支えるのか。
もちろん、現実の指導は、どちらか一方だけで成り立つものではない。
しかし、日々の活動の出発点を少し変えることはできる。
すぐに答えを示す前に、選手に聞いてみる。
選手が考えを伝えるまで、少し待ってみる。
選手から出てきた提案を、まずは一緒に検討してみる。
うまくいかなかったときも、すぐに正解を与えるのではなく、何が起きたのかを一緒に振り返ってみる。
こうした小さな変化を積み重ねていくことが、やがてチームの文化を変えていくのではないだろうか。
ボトムアップか、トップダウンか。
教えるか、任せるか。
その二者択一を超えて考えたい。
指導者の専門性を生かしながら、選手が自ら考え、判断し、行動することを当たり前にする。
必要なのは、指導技術を捨てることではない。
選手の主体性が発揮されることを前提に、指導の仕組みをシフトチェンジすること。
選手を動かすための指導から、選手が自ら動けるようになるための指導へ。
その転換は、特別な理論を知ることだけで始まるのではない。
明日の練習で、選手にどんな問いを投げかけるか。
選手のどんな提案を受け止めるか。
そして、どんな場面で、あえて待つことができるか。
その一つひとつから始められる。
私たち指導者自身が、これまでの当たり前を問い直すこと。
そこから、選手主体が特別ではない、当たり前の育成環境をつくっていきたい。

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