
JFAのお知り合いがいたら、このブログを紹介してほしいです。
日頃より、日本サッカーの発展のためにご尽力いただき、本当にありがとうございます。
そして、森保一監督をはじめ、日本代表に関わるすべての皆様。
私たちに、たくさんの感動をありがとうございました。
ワールドカップで私たちが目にしたのは、勝敗だけではありませんでした。
私が強く心を動かされたのは、選手たちが自ら考え、仲間と対話し、状況を見て判断し、チームとして課題を解決していく姿でした。
特に印象に残っているのが、試合中の給水タイムです。
監督が前に立って一方的に指示を出すのではない。
選手たちが輪になり、自分たちで話し合う。
森保監督は少し離れたところから、その様子を見守る。
この光景を見て、「監督は何をしているのか」「もっと指示を出すべきではないのか」と感じた人もいたと思います。
しかし、私は、あの「一歩引く姿」にこそ、これからの日本サッカーにとって大切なものがあったと感じています。
一歩引くことは、何もしないことではありません。
選手が自ら考え、判断し、仲間と協働し、責任をもって決断できるように環境を整える。
必要なときには支える。
そして、最後は選手を信じて任せる。
これは「指導しない」のではなく、選手を主体者として育てるための、非常に高度な指導なのではないでしょうか。
サッカーは、試合中に監督がすべての答えを伝えられるスポーツではありません。
相手が変わる。
状況が変わる。
時間が変わる。
だからこそ、ピッチの中にいる選手自身が、状況を読み、自分で判断し、仲間と答えをつくり出さなければならない。
そう考えると、「自ら考える選手」を育てることは、単なる戦術ではありません。
人づくりです。
そして私は、この「選手主体」という考え方を、ぜひサッカー界だけに閉じないでほしいと思っています。
むしろ、JFAだからこそ、学校教育に働きかけていただきたいのです。
ここで、一つ問いかけたいことがあります。
私たちは、子どもたちに「自分で考えなさい」と言いながら、教室の環境そのものを「先生の話を聞きなさい」という形にしていないでしょうか。
例えば、教室を思い浮かべてください。
子どもたちの机がすべて前を向いている。
教師は教室の前に立つ。
子どもたちは教師を見る。
教師が話し、子どもたちが聞く。
もちろん、教師が前に立って説明することが必要な場面はあります。
しかし、それが教室のデフォルトになっているとしたら、私たちは知らず知らずのうちに、
「学ぶとは、先生の話を聞くこと」
「答えは先生が持っている」
「先生が教えてくれるまで待つ」
というメッセージを、子どもたちに送り続けることにならないでしょうか。
一方で、子どもたちが顔を見合わせられる。
隣の友達とすぐに話せる。
仲間の考えを聞き、自分の考えを伝えられる。
教室の中心に「教師」だけではなく、「子ども同士の対話」がある。
例えば、コの字型やグループ型、サークル型のような、互いの顔が見える環境です。
私は、ここに森保ジャパンと学校教育をつなぐ、大きなヒントがあると思っています。
森保ジャパンがピッチ上で見せたのは、
「監督を見るチーム」ではなく、「仲間を見て、自分たちで考えるチーム」
でした。
だとすれば、学校教育でも、
「先生を見る教室」から、「仲間を見て、対話し、自分たちで学ぶ教室」へ。
その転換を考えていく必要があるのではないでしょうか。
もちろん、座席をコの字にすれば主体性が育つわけではありません。
サークルにすれば対話が生まれるわけでもありません。
大切なのは、その形の奥にある哲学です。
「教師が答えを与えるのではなく、子どもたちが考え、対話し、学びをつくる。」
その哲学を、教室という空間にも表すのです。
だからこそ、私はJFAに一つ、具体的な提案があります。
日本サッカー協会から、学校教育に対して「子どもが互いの顔を見て学べる環境を、教室のデフォルトにしていく」というメッセージを発信していただきたいのです。
コの字型でもいい。
グループ型でもいい。
サークル型でもいい。
地域や学校、学年によって形は違って構いません。
重要なのは、「教師が前、子どもが一方向を向く」という形だけを学びの標準にしないことです。
子ども同士が顔を見て、考えを伝え、互いの考えを聞き、違いから学ぶ。
そんな環境を、特別な授業のときだけではなく、日常のデフォルトにしていく。
これは、サッカーの指導にもつながります。
サッカーの練習では、指導者が前に立ち、選手が一列に並んで話を聞く。
もちろん、それが必要な場面もあります。
しかし、それだけが「指導」の形になってしまえば、子どもは指導者の答えを待つようになります。
だからこそ、ピッチでも、教室でも、
「大人が前に立ち、子どもがそれを見る」ことを唯一のデフォルトにしない。
子ども同士が顔を見て、考え、話し、試し、失敗し、もう一度考える。
その環境をつくる。
私は、これこそが「選手主体」「子ども主体」という言葉を、現場で本当の意味で実装することだと思います。
そして、ここにJFAが学校教育へ働きかける大きな意味があります。
サッカーだけで子どもを変えるのではなく、子どもが育つ環境そのものを変えていく。
学校とサッカーが同じ方向を向けば、子どもたちは一日の中で何度も、
「自分で考える」
「人の話を聞く」
「自分の考えを伝える」
「仲間と答えをつくる」
「自分たちで決める」
という経験を積むことができます。
それは、サッカーが上手になることを超えて、これからの社会を生きる力そのものにつながるはずです。
だからこそ、森保ジャパンの経験を「代表チームの成功物語」で終わらせてほしくありません。
給水タイムで選手たちが輪になって話していた、あの光景を、日本中のグラウンドへ。
そして、そこからさらに一歩進んで、日本中の教室へ。
「先生の話を聞く子ども」だけではなく、
「仲間と考え、自分たちで学びをつくる子ども」
を育てる文化へ。
そのために、JFAから学校教育へ、
「子どもが互いの顔を見て学べる教室を、デフォルトにしよう」
というメッセージを届けていただきたい。
これは、単に机の向きを変える提案ではありません。
子どもを「教えられる存在」から「自ら学びをつくる存在」へと捉え直す提案です。
そして、その思想は、森保ジャパンがピッチ上で私たちに見せてくれたものと、決して無関係ではないと思います。
日本サッカーは、これまで世界から「勝ち方」を学び、発展してきました。
これからは、日本が世界へ「人の育て方」を発信する時代になってもいいのではないでしょうか。
その第一歩として、森保ジャパンが示した「選手主体」という哲学を、サッカーの現場だけでなく、学校教育、そして日本社会へ広げていく。
「大人が答えを与える」のではなく、「子ども自身が考え、対話し、答えをつくる」。
その文化を、日本中のグラウンドと教室に。
ワールドカップで生まれた感動を、一過性の感動で終わらせない。
あのピッチで示された姿を、日本の子どもたちの日常にする。
それができたとき、森保ジャパンが残したものは、勝敗を超えて、日本の未来そのものに残っていくのではないでしょうか。
日本サッカーの未来のために。
そして、これからピッチに立ち、これから教室で学ぶ、まだ名前も知られていない未来の子どもたちのために。
ぜひJFAから、学校教育へ働きかけてください。
そして、
「子どもが互いの顔を見て、対話し、自ら考える環境を、当たり前のデフォルトにする。」
そんな教育文化を、日本中につくっていくことを提案します。
一人の指導者として、心から願っています。

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