なぜ、同じように「子どもの主体性を育てよう」としても、ある場所では活気が生まれ、別の場所では子どもが取り残されてしまうのでしょうか。
最近よく耳にする「自由進度学習」。 加藤幸次先生が日本に広められた個別化・個性化教育がバックグラウンドにあり、その根っこにはキャロルモデルやクロンバックの適性処遇交互作用といった理論があります。
一方で、よく一緒に語られる「自己調整学習」のジマーマンの理論とは、実はあまり関係がありません。
それなのに、中教審答申で「個別最適な学び」が打ち出され、評価の文脈で「自己調整」がセットになったことで、いつの間にか「自由進度学習=自己調整学習」としてごちゃ混ぜにされてしまいました。
現場では、自由進度学習の良いところばかりが取り上げられます。 有名な小学校の実験的な実践の輝かしい部分だけが、まるで魔法のように切り取られていく。
でも、ちょっと待ってください。その裏にある「逆の現実」を、私たちはどれほど見つめているでしょうか。
教える側がその理論の根っこを理解せぬまま形だけを取り入れると、それは「自由」な学びではなく、ただの「放任」になってしまいます。 子どもたちにとっては、自立どころか「重しんどい学習」でしかないのです。 格差はひらくばかりで、昔の習熟度別学習と同じ運命を辿るのではないか、そんな危うさを感じずにはいられません。
ボトムアップ理論や、あの麹町中学校の改革が目指すものは、これらとは根本から違います。
元サッカー日本代表監督の岡田武史さんが大切にしている言葉があります。 「どうしたの?」 「どうしたいの?」 「何か手伝えることはある?」
この関わりがなぜ子どもの主体性を引き出すのかといえば、そこに必ず「人との繋がり」があるからです。
自由進度学習を少し意地悪な言い方をするなら、あれは「コンピュータゲーム」に近いのかもしれません。 あらかじめ決められた枠の中で、楽しそうに、しかし個人的にマニュアルを見ながら一人で淡々と進めていく。
でも、岡田さんのアプローチや麹町中の実践をはじめとする本質的な組織づくりや学びは、決して一人で完結するものではありません。 人は人の中で人となる。 困難や迷いにぶつかったとき、人との繋がりの中で対話し、葛藤しながら解決していく。
根本がまったく違うのです。
環境を整えることは大切です。 でも、ただ形を真似て子どもを一人きりのゲーム空間に放り込むことと、温かな関わりの中で「あなたはどうしたい?」と問いかけることでは、育つものの意味が全く違ってきます。
私たちは、子どもたちにどんな景色を見せたいのでしょうか。
あなたの周りには、一人きりで頑張らせる「ゲームの空間」ではなく、人と人との繋がりの中で心が動き出す「温かな環境」がありますか。

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