あと1週間で、今年度が終わります。学級経営、学年経営。先生方それぞれ、振り返ってみると、さまざまな思いがあるのではないでしょうか。
うまくいったこと。もう少しこうすればよかったと思うこと。次はこうしてみたいと思うこと。良かったことは継続し、修正したいところは修正する。その積み重ねが、学校を前に進めていくのだと思います。
そのヒントとして、次年度、「主体的・対話的で深い学び」を目指す際のポイントを少し考えてみたいと思います。
主体的・対話的で深い学び。そう聞くと、多くの人がこう思います。授業研究が必要。指導技術を磨かなければならない。教材研究に時間をかけなければならない。確かに、それらは大切です。
しかし、よく考えると、もっと簡単に、しかも一瞬で変えられることがあります。次年度、すぐに変えられることがあります。しかも時間も労力もほとんどかかりません。気づきますか?
例えば次のような場面です。
① 授業の始まり。教師が「はじめます」と言って、はじめさせるのか。教師と児童が整ったと児童が見て、感じて、判断して「起立」と児童が言って始めるのか。そもそもその流れはいるのか?
② 授業で使うプリントの配付。教師が列の前に行き、枚数を数えて配布するのか。列の先頭の児童が、列の児童の枚数を自分たちでとって配付をさせるのか。
③ プリントの取り方。教師が教卓から配るのか。児童が前に取りに来て、自分たちで配るのか。
④ わからないとき。教師がもう一度説明するのか。児童が、「誰に聞けば分かるかな」と周りに助けを求めるのか。
⑤ 発言の順番。教師が「はい、〇〇さん」と指名して発言させるのか。児童が「その考えどういうこと?」と互いの発言をつないでいくのか。
⑥ 話し合い。教師が進行して進めるのか。児童が場の流れを感じながら進めていくのか。
⑦ 学習の進め方。教師が「ここまでやりなさい」と進む範囲を決めるのか。児童が「ここまでできた」「次はこれをやろう」と自分で進み方を決めるのか。
⑧ ノート。教師が「この形で書きなさい」と書き方を決めるのか。児童が「どう書けば自分が考えやすいか」を試しながら工夫するのか。
⑨ 振り返り。教師が「振り返りを書きなさい」と書かせるのか。児童が「今日一番考えが変わったところはどこ?」と互いに語り合うのか。
⑩ 授業の終わり。教師が「終わります」と授業を閉じるのか。児童が「まだ話したい」「続きが気になる」と感じながら次につながるのか。
⑪ 座席の配置。教師が話しなさいと言って話させる前向き一斉座席配置なのか。「わからないから教えて」と、わからないときにすぐに尋ねられるコの字型、もしくはグループアイランド型座席配置をデフォルトとするのか。
⑫ 聴く姿勢。教師や発表者が姿勢を正しなさいと言って正させるのか。教師や発表者が前に立ち、笑顔になったり、「話したいなあ」「聴いてほしいなあ」という状態になったとき、児童が「観て、感じて、気づいて、考えて、聴く」状況に自然と徐々になっていくのか。
この中で、次年度すぐに変えられることがあります。研修も、時間も、特別な技術もほとんど必要ありません。どれでしょうか。
答えは「環境」です。
主体性を育てるかどうかは、授業技術の前に環境で決まってしまうことがあります。例えば座席配置です。
教室では、前を向いて座ります。前に立つ人が話します。その人が話し始めるのを待ちます。つまり、誰かの話を聞くことが前提の環境です。言い換えれば、受動がデフォルトの環境です。
しかし、その環境の中で私たちは言います。「主体的・対話的で深い学びを目指します。」
ここで少し考えてみたいのです。もし体育の授業で、全員が椅子に座り、先生の動きを見て説明を聞くだけだったらどうでしょう。そして言われます。「主体的に運動しましょう。」少し不思議に感じるかもしれません。
体育では動く環境を作ります。音楽では演奏する環境を作ります。図工では作る環境を作ります。
ではここで一つ問いです。
体育は「動く環境」を作るのに、なぜ国語や算数は「聞く環境」のままなのでしょうか。
国語は読み、考え、比べ、語り合う教科です。算数も考え、説明し、別の考え方と比べる教科です。つまり思考と対話の教科です。
もしそうだとしたら、考え合う環境があってもよいはずです。それなのに教室のデフォルトは前向き一斉座席配置です。
そして話し合いになると、私たちは言います。「ではグループになりましょう。」
つまり対話のときだけ環境を変えているのです。ということは、私たち自身がどこかで、前向き一斉は対話の環境ではないと分かっているのかもしれません。
それでも授業の多くの時間は前向き一斉です。そしてその環境のまま「主体的・対話的で深い学び」を目指しているとしたら、そこには少し大きな矛盾があるのかもしれません。
もしかすると子どもが主体的でないのではなく、主体的になりにくい環境が教室にあるのかもしれません。
そしてその環境の多くは、特別な研修をしなくても明日からでも変えられることです。例えば座席配置です。机を動かすだけです。0.2秒です。
必要なのは時間ではなく、当たり前を問い直す視点なのかもしれません。
主体性は教えるものではありません。主体性は奪わないことで生まれるものです。
そして最後に、もう一つだけ。
主体性を育てたいと言いながら、100年前と同じ教室を続けている。
もしかすると、私たちはそのことにまだ気づいていないのかもしれません。

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