少しだけ、立ち止まって考えてみる。
今、世界ではアメリカ合衆国とイランが実際に軍事衝突を始めている。
2026年2月28日、アメリカとイスラエルはイラン国内の軍事施設などに対して大規模な攻撃を行った。その攻撃をきっかけに、イランは中東各地の米軍基地などにミサイルやドローンで反撃している。戦闘は今も続いている。 
数千の軍事目標が攻撃され、ミサイル、艦船、基地。
そして多くの人の命が巻き込まれている。 
しかし、ふと思う。
歴史は、これをどう書くのだろう。
歴史の教科書は、出来事をとても短く書く。
例えば、ロシアのウクライナ侵攻。
数十年後には、たった数行で説明されるかもしれない。
「2020年代、国際秩序は大きく揺らいだ」
「各地で軍事衝突が起きた」
でもその数行の裏には、壊れた町があり、帰らない家族があり、突然終わった日常がある。
そしてもう一つ、考えてしまう。
もし戦争がさらに拡大して、「人が足りない」と言われたら。
そのとき、誰が戦場に行くのだろう。
会社員。
学生。
町で普通に暮らしている人。
そしてきっと、世界大会で日本中を熱狂させているあの選手たちだって例外ではないはずだ。
テレビの向こうで歓声に包まれていた人たちも、同じ社会の一員だからだ。
戦争というものは、社会の一部だけではなく、社会そのものを巻き込むものだから。
だから思う。
未来の歴史は、この時代をどう書くのだろう。
「緊張が高まった時代」
「大国の対立が激化した時代」
そんな言葉で静かにまとめるのだろうか。
それとも。
「あのとき、まだ止める余地があったのに
止められなかった時代」
そう書かれるのだろうか。
歴史は、いつもあとから書かれる。
でも、その「歴史になる前の時間」を
生きているのは、今の私たちなのかもしれない。

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