毎日がスペシャルだった場所

以前、私はある島の学校に勤務していました。
そこで当たり前のように使われていた言葉があります。
「子宝」。
本当に、宝として扱われていました。
でも、あとから気づいたのです。

宝として扱う、ということは、特別な日だけ大切にする、という意味ではない。

むしろ逆でした。

毎日が、スペシャルだった。

特別な行事があるから特別なのではない。

朝のあいさつも、給食の時間も、放課後の何気ない会話も、

「この子たちがここにいる」という事実そのものが、特別扱いされていた。

Imagineが問いかける“想像する日常”

ジョン・レノンのImagine は壮大な理想を歌っているようでいて、

実はとても静かな問いです。

「想像してみよう」と。

あの学校で私は、毎日、想像していました。

今日の一言が、この子の未来にどう残るだろうか。

今日の失敗が、この子の自信を削らないだろうか。

想像するということは、未来を特別扱いするということ。

だから、今日という一日を雑に扱えなかった。

We Are the Worldと、“ひとりにしない”空気

We Are the World が伝えたのは、「私たちはひとつだ」というメッセージ。

あの場所では、誰かが落ち込めば、自然に誰かが横にいた。

誰かがうまくいけば、自然にみんなで喜んだ。

特別な支援体制というより、空気そのものが「ひとりにしない」だった。

それはきっと、“毎日がスペシャル”という前提が共有されていたからだと思うのです。

宝を守るとは、時間を大切にすること

宝という言葉は、未来を連想させます。

でも本当は、宝を守るというのは“今日”を守ることなのかもしれません。

怒鳴らない。
あきらめない。
見捨てない。

今日という一日を、特別扱いする。

それが積み重なって、子どもは「自分は大切にされている」と感じる。

平和も、同じ構造ではないでしょうか。

いきなり世界を変えるのではなく、今日という一日を雑に扱わないこと。

もし、歌でつなぐなら

Imagineの“想像”と、We Are the Worldの“支え合い”。

それを政治ではなく、祈りとして、文化として、教育の延長として、みんなで重ねることができたら。

それは大きな主張ではなく、「今日を大切にする」という態度の共有になる。

声を荒げるのではなく、声を重ねる。

毎日がスペシャルだと本気で思っている大人が増えたら、子どもを宝として扱う社会は、自然に分断を選びにくくなる。

私にできること

公務員という立場は、自由さを制限することもあります。

でも、教育というフィールドで“毎日を特別扱いする文化”を育てることはできる。

もし、ImagineとWe Are the Worldを、そんな視点で“つなぐ”企画があるなら。

私は参加したい。

なぜなら、

平和とは遠い国の出来事ではなく、

今日の教室の空気から
始まるものだと信じているから。

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